目指すはインディ500史上最多の5勝目。インディアナポリスに愛されたカストロネベス「まだ私は終わっていない」

 敬虔なクリスチャンとして知られるブラジル出身のエリオ・カストロネベス。インディ500での4勝目を挙げたのは、45歳になってすぐだった。神様を信じ続けたからこそなのか、彼は何度も窮地を脱し、とてつもなく輝かしいキャリアを築き上げている。

 ブラジルでステップアップした後にイギリスへ渡ってF3を戦ったカストロネベスだったが、F1へのチャンスは掴めず。1996年からアメリカでインディライツに参戦を始めた。

 インディカー・シリーズにも参戦しているタスマン・モータースポーツからだった。チームメイトの中にはトニー・カナーンがいた。

 2シーズン目にタイトル争いをしたカストロネベス。しかし、チャンピオンの栄冠はチームメイトのカナーンの手に。僅か4点差でランキング2位になった彼は人目も憚らずに涙を流した。カナーンのライバル関係はこの後も延々と続いている。

 タスマンは1995年にホンダのインディカー初勝利を記録し、急成長を続けていた。そんなチーム内でインディカーへとステップアップできたのはカナーンだけとなった。

カストロネベスは他にシートを探すしかなく、ベッテンハウゼンモータースポーツからインディカーにデビューした。弱小チームでも非凡なスピードを見せることがあったカストロネベスだったが、この年のルーキー・オブ・ザ・イヤーにはカナーンが輝いた。

 翌1999年にカストロネベスはホーガン・レーシングに移籍したが、成績は振るわないまま。対するカナーンは初勝利を記録した。

 2シーズン成績の残せなかったカストロネべスはキャリア終了の危機に陥った。2000年シーズンを戦うチームが決まっていないまま最終戦を迎えた。しかし、ここで大逆転の展開に。

 彼は名門チーム・ペンスキーに登用されることになったのだ。彼らはカナダ出身、24歳ですでに4勝を挙げていたグレッグ・ムーアと契約していたのだが、その彼が最終戦で事故死。行先の決まっていなかったカストロネベスが代わりに起用されることになったのだ。

 ペンスキー入りするやカストロネベスは快進撃を開始。最初の年に3勝し、ポールポジションも3回獲得。カナーンを上回る成績を残し始めた。

 2001年にはチーム・ペンスキーがインディ500への参戦を再開し、このチャンスをカストロネベスは世界最大のレースでのデビュー・ウインという快挙を成し遂げた。

インディ500初勝利でスパイダーマンパフォーマンスで喜ぶカストロネベス
インディ500初勝利でスパイダーマンパフォーマンスで喜ぶカストロネベス

 明くる2002年、チーム・ペンスキーは参戦シリーズをIRLにスイッチ。チーム・オーナーのロジャー・ペンスキーはCARTシリーズの生みの親のひとりだというのに……。

 一緒にCARTを興したパット・パトリック率いるパトリック・レーシングはもちろん、ニューマン・ハース・レーシング、チップ・ガナッシ・レーシング、チーム・グリーン、フォーサイス・レーシングといった強豪たちはCARTに留まった。

 2002年、ガナッシ、グリーンがCART代表としてインディ500に参戦して来る中、チーム・ペンスキーはIRL側の一員として迎え撃つ側になっていた。

 そして、勝ったのがペンスキーのカストロネベス。2連覇が達成された。このレースで実際に200ラップをいちばん先に走り切ったのはチーム・グリーンのポール・トレイシーだったが、ファイナル・ラップのターン3で彼がカストロネベスを抜いてトップに立った時は、フルコースコーション(ターン2で多重クラッシュ発生)が出ていた……とIRLは判定。カストロネベスをウイナーと認定した。

“CARTチームに3年連続で勝たれては面目が立たない”とIRLが考えていたのは間違いない(2000年はファン・パブロ・モントーヤとガナッシが圧勝)。トレイシーはシリーズ分裂が続く中での政治的犠牲者となったわけだ。

 翌2003年にCARTシリーズの強豪たちの大半がIRLへとスイッチした。チーム・ペンスキーが1シーズン前にそれをしていたことで、カストロネベスはIRLを味方につけてインディでの2勝目を手にするチャンスを得た。ここにも彼の幸運さが現れている。

 結果を不服としてチーム・グリーンは訴訟を起こしたが、カストロネベスが正式なウイナーに。この後、彼は2009年にも優勝。それから11年経った今年、AJ.フォイト、アル・アンサー、リック・メアーズと並ぶ史上最多の4勝目を記録した。

2009年のインディ500で3度目の優勝を果たす
2009年のインディ500で3度目の優勝を果たす

 カストロネベスはアメリカ国税庁に脱税疑惑をかけられ、レースに出場できなくなったこともあった。しかし、嫌疑がすぐに晴れたため、チーム・ペンスキーのシートを失わずに済んだ。

 2018年からチーム・ペンスキーはアキュラ(ホンダ)と組んでスポーツカー・シリーズに参戦開始。すでに大ベテランとなっていたカストロネベスはそのドライバーとして抜擢され、インディカーのレギュラーではなくなった。

 それでもインディ500への参戦はチーム・ペンスキーから続けることができていた。インディカーでは4回ランキング2位となるも、ついにチャンピオンにはなれなかった彼が2020年、IMSAのシリーズでチャンピオンに輝く。

 スポーツカーで任務を達成。ところが、その翌年である2021年、カストロネベスはチーム・ペンスキーからインディ500に出場できないことになった。スコット・マクロクリンが加入し、チームはフルシーズンを4カー体制で戦うことになり、インディもレギュラー4台のみを出場させることになったからだ。

 彼らは“自分たちのチームがフルに力を発揮できるのは4台まで”と経験則から決めており、いくらカストロネベスでも5台目を用意することはなかった。

 インディ500で3勝しているドライバーに乗るものがない……という事態は、メイヤー・シャンク・レーシング(MSR)が彼を起用することとなって避けられた。そして、カストロネベスは久しぶりでホンダ・エンジンでインディを走ることにもなった。

 まだ新興と考えられているチームだが、スポーツカーで実績を残して来ており、インディカーにはエンジニアリングをアンドレッティ・オートスポートに任せて参戦。この体制と自らの豊富な経験を武器としてカストロネベスは予選のトップ9に食い込んだ。

 それに対して、カストロネベスにマシンを用意できなかったチーム・ペンスキーは、4台の最上位グリッドが17番手と大苦戦。パワーには予選落ちの可能性すらあった。

 2020年もチーム・ペンスキーのインディ500でのパフォーマンスは低かった。2021年にホンダを使うMSRで走ることになったのは、カストロネベスならではの幸運によるものだ。それはアレックス・パロウを下してのインディ4勝目に繋がった。

クルーと一緒にフェンスを駆けのぼり喜びをあらわにするカストロネベス
クルーと一緒にフェンスを駆けのぼり喜びをあらわにするカストロネベス

 アメリカ最高峰シングルシーターで通算31勝を飾り、PPは50回も獲得しているカストロネベス。今年のインディ500で勝った直後、彼は言った。

「まだ私は終わっていない。自分に勝つ力が残っていることはわかっていた。だから努力を続けて来ている。来年またインディに出場する」

史上初、歴代単独トップとなる5勝目に挑戦しない手はない。彼はこれから約2カ月間、歴史の残るインディでの4勝目の余韻に浸った後、8月のナッシュビルから、シーズン後半のストリート&ロードコース5戦に出場する予定だ。

ボルグワーナートロフィーにキスをするカストロネベス
ボルグワーナートロフィーにキスをするカストロネベス