【訃報】ファウスト・グレシーニが新型コロナで亡くなる。2度のWGP125ccクラス王者

 2月23日、ロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦しているグレシーニ・レーシングは、125ccクラスで2度の王者に輝き、現在はチームマネージャーを務めるファウスト・グレシーニが新型コロナウイルスにより亡くなったと発表した。60歳だった。

 ファウスト・グレシーニは、2020年12月末に新型コロナウイルスの検査で陽性となり、自宅で隔離していたが、12月27日からはイタリアのイモラにあるサンタ・マリア・デッラ・スカラレッタ病院に入院した。

 12月30日からはボローニャのマッジョーレ・カルロ・アルベルト・ピッツァルディ病院に移り、より専門的な病棟で治療を受けており、医療的な昏睡状態に置かれ、人工呼吸器で血液中の酸素量を十分に保つ措置がとられていた。

 その後、一時は意識を戻し、1月12日にファウスト・グレシーニがビデオ通話で娘の誕生日を祝ったこと、2月1日に熱が1週間以上ない状態で安定した状態だとチームが報告していた。

 しかし、重度の呼吸不全のため、2月中旬から再び医療的な昏睡状態に置かれ、人工呼吸器を装着して回復を待たれたが、新型コロナウイルスの感染から約2カ月が経った2月23日に亡くなったことをチームが明かした。

WGP125ccクラスで2度の王者に輝いたファウスト・グレシーニ
WGP125ccクラスで2度の王者に輝いたファウスト・グレシーニ

 ファウスト・グレシーニは1983年から1994年まで12年間、ロードレース世界選手権125ccクラスに参戦したライダーだ。1985年と1987年に2度のチャンピオンに輝き、通算21勝を含む47度の表彰台を獲得した。

 現役引退後の1997年には、グレシーニ・レーシングを設立して500ccクラスに参戦し、初年度にアレックス・バロスが表彰台を獲得。1999年からは250ccに参戦し、2001年に加藤大治郎が11勝をマークしてチャンピオンに輝き、翌年は加藤をMotoGPクラスに参戦させた。

 そして2003年の開幕戦日本GPで加藤がレース中のクラッシュで亡くなるが、次のレースでチームメイトのセテ・ジベルナウが勝利し、チームとして最高峰クラスで初優勝を達成した。2003年と2004年はセテ・ジベルナウがランキング2位となる活躍を見せたほか、2010年にはMoto2クラスでトニ・エリアスがタイトルを獲得。Moto3クラスでは2018年にホルヘ・マルティンが王者となった。

 現在は、MotoGPクラスにアプリリア・レーシング・チーム・グレシーニとして参戦しており、Moto2クラス、Moto3クラスにもグレシーニ・レーシングとしてエントリーしている。

 また、日本人ライダーでは、上述の加藤のほか、清成龍一、中野真矢、青山博一、高橋裕紀がグレシーニ・レーシングでレースを戦った経験がある。