ポルシェとクロスオーバーするバンド・デシネの傑作『ミシェル・ヴァイヨン』の世界 【動画】

ポルシェとクロスオーバーするバンド・デシネの傑作『ミシェル・ヴァイヨン』の世界 【動画】

1957年にスタートしたレースが舞台のコミック

ベルギー・ブリュッセル在住のフランス人漫画家ジャン・グラトンによって1957年に発表されたバンド・デシネ(フランスの漫画シリーズ)、『ミシェル・ヴァイヨン(Michel Vaillant)』をご存知だろうか。

ジャン・グラトンは主人公の“ミシェル”を中心とする独自の世界観を作り出し、フランスの自動車ブランド「ヴァイヨン」のレース活動は60年以上にもわたって世界中の読者をトリコにしてきた。そして、ミシェル・ヴァイヨンのストーリーは、現在も息子のフィリップ・グラトンによって引き継がれている。

レースの世界を描くフランス製コミック「ミシェル・ヴァイヨン」

まるでアート作品のような美しい世界観

ミシェル・ヴァイヨンのルーツは1950年代にまで遡る。作者のジャン・ グラトンは子供の頃からモータースポーツに熱中していたが、お金もドライブの才能にも恵まれていなかった彼にはレース出場は叶わぬ夢だった。

レーシングカーのドライブはできなかったが、イラストの才能を持っていたグラトンは広告代理店での仕事を経て、コミックの世界へと進むことを決意する。1957年に『ミシェル・ヴァイヨン』を発表すると、突如モータースポーツの世界が彼の目の前に広がった。

『ミシェル・ヴァイヨン』による冒険は、まるで叙事詩のような趣をもっていた。そしてイラストの雰囲気はポップアートのように洗練されている。「Vrooaarppp」「Vroaaammm」「Iiiiiii」「Shhaa」「 Bang」「Tchak」といったフランス語の書き文字は軽快なテンポをもたらし、音のない紙の世界に鼓膜を切り裂くようなサーキットサウンドを再現した。

グラトンは魅力的なキャラクターと、それ以上に素敵なレーシングカーによる魅惑的でありながら整然とされた世界観を作り上げ、“ミシェル”がドライブするレーシングカーの1台1台がアート作品のような美しさを持っていた。

レースの世界を描くフランス製コミック『ミシェル・ヴァイヨン』

父の後を継いだ、息子のフィリップ

グラトンの息子フィリップは、父から鋭い審美眼と説得力のある物語を紡ぐ才能を受け継いだものの、残念ながら絵を描くことはできなかった。そこで彼は父親とは異なる道へと進み、フォトグラファー兼ジャーナリストとして活動していた。

「1981年、父が務めていた出版社が突然倒産してしまったのです。父はそれで生計を立てていましたし、人生を楽しんでいました」

フィリップは、父親が苦手としていた経営に関する事業の一部を引き継ぐことになった。実家のキッチンテーブルを囲んで、新たに出版社を立ち上げた当時のことを懐かしそうに振り返った。そして、彼はコンテンツ製作にも携わるようになる。

「当時は1日のうち12時間は仕事に追われていましたね(笑)。私は自動車メーカーやレーシングチーム、ドライバーにリサーチをして、物語のストーリーを組み立てていきました。そしてイラストは父が描いていました」

やがてジャンがリタイアしてフィリップが事業全体を任されるようになり、イラストに関してはプロのイラストレーターを雇うことになった。この家族的な経営が結果的にハンデになってしまった、とフィリップは指摘する。

「父や私たちは製作者であって、たまたま出版社を経営することになったわけです。その時点で70巻も刊行されていた『ミシェル・ヴァイヨン』は、大手の出版社から発売されるべきだったのです」

レースの世界を描くフランス製コミック『ミシェル・ヴァイヨン』

保守的な家族像が描かれた当初のストーリー

フィリップ・グラトンは、“ミシェル”とまるで兄弟のように育ってきたと言えるかもしれない。「父は1957年に“ミシェル”を描き、私は1961年に生まれました」とフィリップは笑う。そのため、息子の成長とともに描かれたきた『ミシェル・ヴァイヨン』は、保守的な世界観を持つ家族の物語となっている。

「小さな自動車会社を経営する父親の“アンリ”と、当時のフランスでは世界の裏側のように思われていたアメリカでレースをしている息子の“ミシェル”の物語です。当時のレースは、ダビデとゴリアテの世界でした。つまり、命を賭けて戦われており、危険で刺激的な世界だったのです」

「作中の自動車メーカー、ヴァイヨンは、その後ル・マン24時間レースで優勝。さらにF1グランプリも制して世界タイトルを獲得しました。物語の中でヴァイヨンがどんどん上りつめていく様子は、現実のポルシェの歴史と類似点があることは間違いないでしょう」

コミックの世界では、父親の“アンリ”の願いが貫かれることになった。長男の“ジャン・ピエール”は、ヴァイヨンのファクトリーエンジニアに、“ミシェル”はレーシングドライバーやブランドアンバサダー。そして“ミシェル”の妻である“フランソワーズ”は、ジャーナリストとしてのキャリアを諦め夫のサポートに徹する道を選んでいる。

レースの世界を描くフランス製コミック『ミシェル・ヴァイヨン』

2010年代の世界に合致した新たなヒーロー象

「『ミシェル・ヴァイヨン』は、コミックでありながらドキュメンタリーでもあります。それが人気を集めた、理由のひとつです」と、フィリップは説明する。

「ストーリーに関しては私たちの想像によって生み出されたものですが、クルマ、ドライバー、サーキット、そして様々な広告までもが現実に沿って忠実に描かれています。このように現実とフィクションを織り交ぜた作品は、他にあまりありません」

ただひとつだけ、リアリズムから離れた例外がある。当時のレースは信じられないほど危険だったが、『ミシェル・ヴァイヨン』では誰もクラッシュで命を落としていない。そして、敵役であっても悪者ではなく、ただ主人公に勝てないだけだった。

2012年にスタートした『ミシェル・ヴァイヨン』のセカンドシリーズでは、キャラクターの性格に大幅な変更が加えられた。フィリップは、ストーリーを紡ぎ出すためのインスピレーションを使い果たしてしまったのだという。

「“ミシェル”は賢くて非の打ち所がなく、まるで聖人君主のような存在でした。そのため、あまりにも“いい子ちゃん”過ぎて、逆に嫌味なキャラクターだったのです。私が彼を退屈な人物と思ったとすると、当然読者も同じように感じているはずです」

自動車に関しても、コミックのスタート当時のように、自由、気迫、酔いしれるようなスピードがなくなりつつあった。そして“ミシェル”は2010年代のヒーローへと進化する。

「彼は現代的な考え方を持ち、自己矛盾と戦い、時には間違いも犯す人物となりました」と、フィリップ。そして電気や水素といった新たな技術も登場するようになった。

新たなキャラクターとストーリーに合わせて、イラストレーターのベンジャミン・ベネトーが加わり、よりダイナミックな画風を『ミシェル・ヴァイヨン』の世界にもたらすことになった。彼はあえてジャン・グラトンの個性をコピーすることはなかったのである。

「幸い、父はこの変化を気に入ってくれました。当時、同じベルギーの漫画家のエルジェは『タンタン』と一緒に『ミシェル・ヴァイヨン』も終わって欲しいと考えていました。でも、父は“ミシェル”に永遠の命を与えました。物語の中で、父親の“アンリ・ヴァイヨン”が息子に期待したように、父は私にも同じようにさせたのでしょう」

レースの世界を描くフランス製コミック「ミシェル・ヴァイヨン」

様々な広がりを見せるミシェル・ヴァイヨンの世界

2019年末、実家のキッチンテーブルからスタートした小さな出版社ヴァイヨンは、パリの大手出版社デュピュイの傘下に入ることになった。

デュピュイを率いるジャン‐ルイ・ドージェは、ヴァイヨンの未来を託すのに理想的な人物だった。彼は1994年製ポルシェ911(993)カレラ 2 を所有し、レースにも精通している。さらにイラストレーターのベネトーも、718ケイマンのオーナーだという。

ドージェは、現実とのリンクを巧みに演出した。彼はスイス出身のレーシングドライバー、アラン・メニュに、『ミシェル・ ヴァイヨン』の役柄を演じさせ、2012年シーズンの世界ツーリングカー選手権(WTCC)に参戦させたのだ。さらに2017年シーズンは2台のレベリオンが「ヴァイヨン製マシン」としてル・マン24時間に参戦した。現在ドージェは、時計やヘルメット、ウェアなど、様々なヴァイヨンのグッズも展開している。

「『ミシェル・ヴァイヨン』は、無限の可能性を秘めています。モータースポーツだけでなく、ヒューマンドラマ、家族、そして変化の激しい世界でのビジネスについても描いているからです」と、ドージェは説明する。

様々なグッズの中で最も高い人気を持つのは、ジャン・グラトン自身が描いた初期のイラストだ。特に壁紙サイズのイラストは、限定販売されると即ソールドアウトしたという。