ヤマハOBキタさんの鈴鹿8耐追想録 1987年(後編):レース本番で“やらかしてしまった”ライダーの男気

 レースで誰が勝ったか負けたかは瞬時に分かるこのご時世。でもレースの裏舞台、とりわけ技術的なことは機密性が高く、なかなか伝わってこない……。そんな二輪レースのウラ話やよもやま話を元ヤマハの『キタさん』こと北川成人さんが紹介します。なお、連載は不定期。あしからずご容赦ください。

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 スポーク部の中心にリブを設けたことにより、リヤホイールの破損はそれ以降発生しなくなった。加えて、ホイールの剛性が増したことによって、それまで感じていた左右のコーナリングの違和感も解消したとケビン・マギー選手から聞いた時には、操縦性を左右するファクターとしてホイールの剛性も無視できないなと改めて思ったものだ。

 当時、ホイールは軽くて壊れなければそれでよしとされ、その機械的性質が定量的に把握されて操縦性を左右する因子として取り扱われる事はなかったが、その点は今もあまり変わっていないようだ。

 さてイタリア人(編集部注:件のホイール発注先のボス、ロベルト・マルカジーニ氏のこと)の約束があてにならないと思っていたわけではないが、矢継ぎ早の催促の結果なんとかギリギリのタイミンクで鈴鹿8耐本番用のロットも無事に入荷した。しかしまだ一件落着とはいかなかった。

 メカニックがタイヤをマウントしてバランスを取ろうとしたところ、いつまでたってもバランスが取れずに首をかしげている。バランスウエイトをほぼ一本使い切ってもまだバランスが取れないありさまに、さすがにこれはおかしいとなってマルカジーニ氏に問いただした。いろいろ調べた結果、バランスが取れない要因はリム部の肉厚がひどくばらついている事だと判明した。

 マグネシウム鋳物は強度を増すために熱処理(溶体化と人工時効)を行うのだが、それがかなり高温になる。つまり熱処理炉に縦に入れたホイールが自重で歪んでしまったということらしい。三本スポークがどういう位置にあったかで歪みのモードも変わるので熱処理後の形状もまちまち……。それを機械加工で真円に削ると部分的にリム部の肉が厚いホイールが出来上がるというわけだ。まあ肉厚が薄くなる事がなかったのは不幸中の幸いだったと言えるかもしれない。この一件はその後、大型の熱処理炉に素材を水平に入れることで解決したが、時既に遅しだった。

 こんな具合に8耐の本番を前にして既に筆者は心身ともに疲れ果てていたのだが、前年に続いて日本人ペア(平塚庄治/町井邦生組)のチーム監督という重責も担うことになった。

 彼らの速さをもってすれば昨年の4位から更に上を狙えると思っていたが、結果は第一ライダーの平塚選手がレース開始早々に転倒、マシンは大破して自力でピットへ戻ることもできずその時点でこの年の8耐はあっけなく幕を閉じた。期待の大型新人、町井選手は一度も本番を走らずに終わったので、その落胆ぶりは筆者以上だったかもしれない。

■“ペコちゃん”の個性的なコメントに途方にくれるメカニックたち

 ともあれ、その後は他のスタッフと共にTECH21チームとラッキーストライクチームのサポートに回ったのだが、正直なところ何をしていたのかその時の情景が全く思い浮かばない。鮮明な記憶として残っているのは、レース終了後にライダーとスタッフが隊列を組んで宿舎まで一時間余りの道のりを徒歩で帰ったことだ(編集部注:8耐ゴール後のサーキット周辺道路は帰途につく観客のクルマで大渋滞していたため、ファクトリーチームといえども徒歩でホテルに戻るしかなかった)。

 TECH21チームの劇的な優勝の陰にかくれてしまいがちだが、ラッキーストライクチーム(ジョン・コシンスキー/カル・レイボーン組)が淡々と走って3位表彰台を獲得と望外の結果だったので、結果を残せなかった我がチームも妙に明るかった。先頭を歩く平塚選手の「ぺろぱーい!」という妙な雄たけびとも掛け声ともつかない言葉に、皆で「ぺろぱーい!」と返しながら行進したのだが、あれはいったい何だったのだろう!?

 本来なら「やらかしてしまった」平塚選手としては、自身の不甲斐なさに対する怒りや周囲の期待に沿えなかった失望感などで、その場から逃げ出したいくらいの辛い心理状態だったと思われるが、そこを敢えてピエロに徹することでスタッフ全員の笑顔を取り戻してくれた。今にして思えば、これもまた「平塚庄治流」の男気の示し方だったのかもしれない。

 平塚選手といえば、1986年の8耐追想録で触れたようにたいへん後輩思いで男気溢れる人物なのだが、豪快なライディングスタイルと転倒しても土煙の中からムックリと立ち上がる不死身のライダー的なワイルドさとは裏腹に笑顔がとても可愛らしく、仲間内では「ペコちゃん」と呼ばれていた。その「ペコちゃん」がファクトリー入りして初めてTT-F3マシンに乗った時のコメントは傑作だった。

「なんてったらいいすかねぇ、リヤタイヤがこう三角形に動くんすよ」とか、「エンジンがこう五角形に揺れるんすよ」と独特の訛り(編集部注:平塚選手は宮城県出身)と身振り手振りで説明してくれるのだが、メカニックもエンジニアも理解不能で途方に暮れていた。

 後で分かったのだが、リヤタイヤが三角形云々は昨今いうところのリヤのポンピングで、エンジンが五角形云々はステアリングの振れ(ウォブル)の事だった。この独特の「平塚語」を解読するのには少々時間が掛かったが、こんなユニークな表現をするライダーにはその後出会ったことがない。ファクトリーライダーとしてのキャリアは比較的短命だったが、今でも忘れられない個性的なライダーの一人である。

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キタさん:(きたがわしげと)さん 1953年生まれ。1976年にヤマハ発動機に入社すると、その直後から車体設計のエンジニアとしてYZR500/750開発に携わる。以来、ヤマハのレース畑を歩く。途中1999年からは先進安全自動車開発の部門へ異動するも、2003年にはレース部門に復帰。2005年以降はレースを管掌する技術開発部のトップとして、役職定年を迎える2009年までMotoGPの最前線で指揮を執った。