池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼Ⅱ』とその後【第26回:元祖ハイパーカー 後編】

池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼Ⅱ』とその後【第26回:元祖ハイパーカー 後編】

新時代のスーパースポーツを予感させた4台のモンスターマシン/後編

漫画家、池沢早人師。日本における自動車漫画のパイオニアであり、著書『サーキットの狼』、『サーキットの狼Ⅱ モデナの剣』は、自動車マニアのバイブルとして今なお愛され続けている。作中には主人公と共に世界各国のスーパーカーが登場し、個性的な存在感を武器にストーリーを紡いでいく。

作者の池沢先生は自らもスーパーカーを愛し、古希を迎える今もポルシェやマセラティを駆り精力的な活動を続けている。これまでに所有したクルマたちは80台に迫るが、それ以外にもレース活動や自動車ジャーナリストの活動を通じて数多のスーパーカーたちを試乗した経験を持つ。ここでは池沢先生の人生のなかで印象に残った4台のスーパースポーツについてお話を伺い、前編/後編の2回に分けてお届けしている。今回は後編として、ブガッティ EB110、そしてフェラーリ F50について語っていただこう。

池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼Ⅱ』とその後、ブガッティ EB110のフロントスタイル

BUGATTI EB110

4ターボの「ブガッティEB110」は驚愕のドッカンターボだった!

1991年、フランスの伝説的な自動車ブランドであるブガッティは、創始者エットーレ・ブガッティの生誕110年を記念したスーパースポーツを生み出した。その名は「ブガッティ EB110」。車前の“EB”はエットーレ・ブガッティのイニシャルを示し、“110”は生誕110年を意味している。その驚くべき一台はとても興味深いヒストリーを持ち、発表当時から気になっていた。

何しろ、スタイリングはランボルギーニ カウンタックでお馴染のマルチェロ・ガンディーニが、エンジニアリングには同じくカウンタックを手掛けたパオロ・スタンツァーニが担当するというのだ。個人的には「現代に蘇ったカウンタック」として大きく期待していたのである。

ところが、開発途中に経営者であるロマーノ・アルティオーリとガンディーニが対立してしまい、最終的にはガンディーニは開発から降りてしまう。その後継者として白羽の矢が立ったのがフェラーリ F40の開発者ニコラ・マテラッツィなのだが、最終的にはガンディーニのデザインを上回ることができず、細かな修正を加えた上で市販車へと落とし込まれた。

池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼Ⅱ』とその後、ブガッティ EB110のフロントスタイル

ガンディーニが追い求めた理想のカウンタックになる予定が・・・

ガンディーニはこのEB110を使ってカウンタックで果たせなかった夢を実現させたかったという。その夢とは「空力」の問題。ボクはその昔カウンタック LP400Sに乗っていたんだけど、このクルマは前衛的なスタイリングとは裏腹にダウンフォースの低さが大きな弱点だった。またJGTC(全日本GT選手権)にカウンタックで出場した時、長いストレートでボディが浮き上がるような不安定さは恐怖すら感じさせるもので、空力の悪さはカウンタックの泣き所だった。

その弱点を誰よりも理解していたガンディーニは、20年以上にも渡って空力について研究したのだという。EB110ではカウンタックで果たせなかった空力のトラウマをリベンジしたかったのかもしれないね。実際、テストでは340km/hの速度でも破綻をきたすことなく安定した走りを披露したと聞き、ガンディーニがEB110にかけた思いの大きさを思い知らされた。

ボクが実際にEB110と出逢ったのはバブル景気が終息しつつあった1990年代の初頭。試乗のメッカである箱根ターンパイクの駐車場に現れた美しいクルマは、フェラーリやランボルギーニとは違ったオーラを纏っていた。往年のレースファンにはお馴染のブガッティだが、ボクのように70年代初期くらいからのレースファンにとっては遠い存在でもある。某自動車番組のオープニングで颯爽と走っていたクラシックカーをルーツとするEB110だが、その面影はフロントバンパーの中心に遠慮がちに付けられた馬蹄形のモチーフと美しい青色をしたボディカラーに残っていた。

池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼Ⅱ』とその後、ブガッティ EB110のエンジン

最高出力560psを絞り出す3.5リッターV12クワッドターボ

スタイルはエレガントさもあり新時代のスーパーカーとしての存在感を備えていた。カウンタックを彷彿とさせるシザーズドアを開けて車内に乗り込んでみるとウッドのメーターパネルが落ち着いた印象を与え、センタートンネルの太さは気になるが決して悪くないデザインだと思う。縦置きにミッドシップされるパワーユニットは3499ccの排気量を持つV型12気DOHC60バルブに日本製(IHI)のターボチャージャーを4基!も備えたクワッドターボ。その最高出力は560ps/8000pmの超高回転型となる。

ドライブして驚いたのは、聞きしに勝る「ドッカンターボ」だったこと。ポルシェ 930ターボにも劣らない暴力的な味付けは、驚きと共に一瞬にして「只者ではない」という印象を与えてくれた。5000rpmを境にその領域を超えた瞬間・・・ロケットのような加速を見せる味付けは乗り手を選ぶ。CFRPモノコックのシャシーは剛性がありボディが捻じれるような不安は一切感じさせず、足まわりは暴れん坊エンジンの割にはソフトな印象だ。クワトロターボと聞いて身構えていたこともあり、マイルドなサスペンションセッティングには肩透かしを食らったようなギャップを感じた。

駆動方式がフルタイム4WDということもあり走行時の安定感はあるものの、サスペンションの柔らかさが影響してか路面の大きな凹凸を駆け抜ける時にはお尻が浮くような上下動するフィーリングがあり、それは後にも先にもブガッティ EB110だけの経験だった。ちなみにポルシェであのニュルブルクリンクを走ったときでもそこまでの感覚は無かった。・・・まあそのくらい、意外性のある脚のセッテングだった。

池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼Ⅱ』とその後、ブガッティ EB110の走行シーン

フランス車的? な操作系は独特なフィーリング

また、サスペンションだけでなくアクセル、ブレーキ、シフトなど操作系はいずれもストロークが長くてシャープさが足りないような気がしてならない。これをフランス的といえばそうなのかもしれないが、500psを超えるモンスターマシンにはもう少しシャープさがあっても良いのではないだろうか。

ブガッティの名前で登場したエレガントなEB110だが、ボクの中では現代に蘇った「新型カウンタック」としての期待が大き過ぎたのかもしれない。しかし、これほどまでに希少な一台を箱根ターンパイクで存分に試乗できたことは人生最大の幸せだった。

その後、ブガッティブランドは紆余曲折を経てフォルクスワーゲングループの傘下として再出発。現在はEB110のDNAを受け継いだヴェイロンやシロンなどの“ハイパーカー”を続々とリリースしている。EB110こそ元祖ハイパーカーであり、それを試乗できたことは幸運だった。末裔たるシロンにも機会があれば乗ってみたいね。

池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼Ⅱ』とその後、フェラーリ F50のフロントスタイル

Ferrari F50

フィオラーノで初試乗した「F50」はテストモデルだった

ボクはその昔、フェラーリ F40を所有していたことがある。フェラーリの創立40周年を記念して作られたスペシャルモデルは、戦闘的なスタイリングと過給機で武装したV型8気筒エンジンを味方に、ポルシェ 959と並ぶ史上最強のスーパーカーとして伝説を築き上げた。その10年後、50周年を記念して登場した「フェラーリ F50」は“公道を走れるF1マシン”をコンセプトに開発された“スペチアーレ=スペシャルモデル”だ。

1995年に登場したF50はレーシングカーと同様の屈強なカーボンモノコックのボディにF1由来のエンジンが搭載され、世界中の跳ね馬ファンを虜にした。ボディスタイルは美しい曲線で構成された流麗さが際立つ。カーボンモノコックの剛性を活かしたF50は、バルケッタと呼ばれるデタッチャブルのオープンボディが与えられスパルタンな印象は微塵も感じさせない。インテリアも必要最低限の装備しか持たなかったF40とは一線を画し、快適装備と共に上質なレザーを使ったシートが与えられていたのも大きな特徴だ。

フェラーリ F50との初めての出逢いは『GENROQ』の取材で訪れたイタリアでのこと。フィオラーノへと足を向けたボクたち取材陣には、F50と出逢う前に事前テストとしてF355を使った“予選”が待ち受けていた。フェラーリのテストドライバーがボクに対してF355をドライブするよう勧め、そこでのスキルチェックに合格したらF50に乗せる・・・ということだったらしい。

池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼Ⅱ』とその後、フェラーリ F50の走行シーン

フェラーリによる“テスト”を経て試乗したF50

まぁ、F355は自分でも2台乗り継いだほど慣れ親しんだクルマなので、簡単に操るボクをみてテストドライバーは驚きながらも一周で合格。遂にF50とのランデブーが許された。最初は「試すなんて失礼だな・・・」とは思ったものの、極東の地から来た見知らぬ人間をホイホイと虎の子であるスペチアーレに乗せてくれる訳はないからね。フェラーリにとってもF50はそれだけ神経を遣うクルマだったってことだね。

テストコースに用意された真紅のF50は美しく官能的だった。フィオラーノでの試乗はF50が市販される前ということもあり、コースサイドには数多くの関係者がつめかけていた。取材のために同行した動画撮影スタッフとスチールカメラマンがコースサイドへと移動し、ボクはF50のエンジンをスタートさせた。甲高いエキゾーストノートを響かせてコースへと進入し、エンジンとタイヤが暖まったことを確認してアクセルを踏み込む。

ドッカンターボ的だったF40とは全く異質の自然吸気V12エンジンはメカニカルノイズこそ大きいが、低速域から高速域まで段差のないスムーズなパワフルさを発揮。その走りは公道用にチューニングされているとはいうものの、1992年に使用されたF1マシン(F92A)用のエンジンをベースにしているとは思えない滑らかさがあり、ハイスピードで操る楽しさは往年のフェラーリを彷彿とさせてくれた。

池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼Ⅱ』とその後、フェラーリ F50の俯瞰

人生最大のフルブレーキングで難を逃れる!

市販前のF50を、それもフィオラーノで気持ち良い気分で走らせていた時、それは突然ボクを襲った! ヘアピンカーブにヒール&トゥでアプローチしようとした瞬間、何とアクセルペダルがフロアに張り付いた状態で戻らなくなってしまった。瞬時にギヤをニュートラルに入れて人生最大のフルブレーキングで対処した。コースアウトは回避しクラッシュは免れたけど、タイヤにできたフラットスポットによってステアリングに振動が出てしまった。まさに心臓が口から飛び出るかと思った瞬間だったね。

気を取り直して試乗を続けるも、中速コーナーの手前でアクセル全開からオフしたのにエンジンは吹け上がりっぱなし! またも同じ症状が発生して「このままではコースから飛び出る!」と判断し、あえてスピンさせてマシンを無事に止めることができた。ピットに戻って「アクセルペダルがフロア底に張り付いてエンジンの回転が戻らなくなる」と症状を説明するも、フェラーリのメカニックたちは信用していないような表情だったが、その疑り深い表情を見て「止まった時にアクセルペダルを自分の手で戻さなければよかった」とつくづく思った。

F40と比較してマイルドな印象を受けたF50だが、その中身は間違いなく「公道を走れるF1マシン」だ。スムーズで乗りやすい・・・という表現はある程度のスキルを持ったドライバーでこそ言えることで、一般的なドライバーであれば手に余ることは間違いないモンスターマシンだった。F50はステアリング、ペダル類、ギヤなどの操作系は非常にダイレクトな味付けとなり、ドライバーに対して気を抜くことを許してはくれない。個人的には公道を走るF1というよりも快適装備を備えたグループCカーのような印象を受けた。まあでもやかましいことにはかわりないけどね。

実は真剣に購入を考えていたF50だが、フィオラーノで体験したアクセルペダルのトラブルがトラウマとなり手に入れることなくスペチアーレへの興味は薄れてしまった。あのトラブルがなければ公道を走れるF1がボクの愛車になっていた可能性は高かったと思う。あれから今まで、市販されたF50でアクセルが戻らなくなって事故を起こしたという話を耳にすることがなかったのは幸いだ。ボクがその症状を伝えたことで市販までに改善されたはず・・・と信じたい。

 

池沢早人師が愛したクルマたち『サーキットの狼Ⅱ』とその後、ブガッティ EB110の走行シーン

4台のスーパーカーを振り返り、改めてその楽しさを再認識

ランボルギーニ カウンタックの再来として夢を与えてくれたブガッティ EB110。そしてF40の後継モデルとしてボクの琴線を刺激したフェラーリ F50。両車共に高い戦闘力と華麗なスタイルでボクを夢中にさせてくれたスーパーカーだった。今回は後編としてこの2台を取り上げたが、前編で紹介したマクラーレン F1とジャガー XJ220と合わせて計4台のスーパースポーツを振り返ってみたことになる。そのどれもが素晴らしく世界中のスーパーカーファンを魅了したクルマであり、現代の“ハイパーカー”へと連なる系譜であることは間違いない。

最近では世界中の自動車メーカーがガソリンエンジンに続くパワーソースとしてEV、HV、PHVに力を注ぎ、スーパースポーツよりさらにレベルを上げたハイパーカーと呼ばれるカテゴリーも形成されてきた。自然環境を考えればその方向性は決して間違ってはいないのだろうが、個人的には官能的なエキゾーストノートを響かせないスポーツカーには食指が動かない。

「スタイル、「走り」、そして「音」。この三拍子が揃ってこそスーパースポーツは成立する。漫画家としてEVスーパーカーの描写を考えた時、背景に「ブオオオオオー」や「クォンクォン」と擬音を付けずに表現することは難しかったしね。スーパーカーと共に半世紀という長き時を過ごしてきたボクにとって、これからもスーパースポーツは魅力的な存在であって欲しいと願っている。

TEXT/並木政孝(Masataka NAMIKI)