鈴鹿8耐 ホンダの記録破りの歴史(3):伊藤真一/宇川徹組がホンダRC45で2連勝を達成

 ホンダは世界でも有名な鈴鹿8時間耐久ロードレースで、ほかのどのマニュファクチャラーよりも勝利を飾っている。世界有数のオートバイレースのひとつである鈴鹿8耐は、1978年に第1回目の大会が開かれた。そのころホンダは11年間におよぶグランプリレース休場期間の終わりに差し掛かっていた。レースは1962年にホンダ創業者の本田宗一郎が建設した、鈴鹿サーキット国際レーシングコースで行われた。今回のコラム『ホンダの記録破りの歴史』では、時代ごとに活躍したホンダのマシンとライダーたちを紹介していく。

◆V4スーパーバイク時代:1994年~1999年

■1994年優勝者:ダグ・ポーレン/アーロン・スライト組(チームHRCホンダ:RC45)
 世界耐久選手権は1994年にTT-F1からスーパーバイクのレギュレーションに切り替えられ、市販車ベースのシャシーとエンジンが必要になった。

 1994年は史上最高の鈴鹿8耐となった。勝利を巡る戦いは、チェッカーフラッグが振られる瞬間まで続いたのだ。アメリカ人のポーレンとニュージーランド人のスライト組は、スコット・ラッセル/テリー・ライマー組と、チームHRCのRC45でスリリングなバトルを繰り広げた。最後の1時間は、スライトとラッセルがサイド・バイ・サイドになり、スライトはわずか0.288秒差で優勝を獲得した。伊藤真一/武石伸也組は、AM/PMホンダRC45で1周に満たない差で3位につけた。

■1995年優勝者:アーロン・スライト/岡田忠之組(チームHRCホンダ:RC45)
 アーロン・スライトは2年連続でホンダで鈴鹿8耐優勝を決めた。チームメイトは250ccクラスのGPライダーである岡田忠之だった。今回も勝利を巡るレースは激しいものだった。チームHRCのふたりは、レース中盤では5秒リードしていたが、チェッカーフラッグを受けた時には、46.8秒差に広げていた。それでもトップ4に入ったライダーは全員が同一周回でフィニッシュした。

 伊藤真一/辻本聡組はチームのHRC RC45で2位につけることで、1992年の屈辱を晴らした。

■1997年~1998年は伊藤真一/宇川徹組が2連勝

■1997年優勝者:伊藤真一/宇川徹組(ホリプロホンダ with HART:RC45)
 鈴鹿8耐はまたしても台風の影響を受け、レースの大半でコースはウエットのままだった。GPライダーのジョン・コシンスキー/アレックス・バロス組は、カストロール・ホンダRC45で首位に立ったが、予定外のピットストップを2回行なったためにトップの座を失った。

 それにより伊藤真一/宇川徹組がRC45で首位に躍り出た。彼らは不安定なコンディションのなか、完璧なレース運びで、コシンスキー/バロス組から2分4秒の差をつけて破った。これは1982年以来となる、日本人ペアの勝利だった。

■1998年優勝者:伊藤真一/宇川徹組(ラッキーストライク・ホンダ:RC45)
 伊藤真一/宇川徹組はチームとして初の連勝を、第21回目の鈴鹿8耐で飾った。そしてホンダは創立50周年を、表彰台を独占して祝うことができた。

 伊藤と宇川は開始2時間でレースの支配権を握ったが、完全にリラックスすることはできなかった。カストロールRC45に乗るセテ・ジベルナウとアレックス・バロスとの間の小さな差を防御しなければならなかったのだ。ジベルナウ/バロス組は彼らから43秒遅れでフィニッシュした。ホンダのスーパーバイク世界選手権の新スターであるコーリン・エドワーズ/岡田忠之組はカストロールRVFで、同一周回の3位でフィニッシュした。

■1999年優勝者:岡田忠之/アレックス・バロス組(Lucky Strike Honda:RC45)
 岡田とバロスは、鈴鹿8耐でホンダによる2度目のハットトリックを決めた。GPライダーのふたりはスーパーバイク世界選手権のペアでカストロールRC45に乗るアーロン・スライト/コーリン・エドワーズ組に1周差をつけていた。