池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第15回:308GTBに“リトルフェラーリ”の楽しさを教わった」

池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第15回:308GTBに“リトルフェラーリ”の楽しさを教わった」

秀逸なアイコンとなった“フェラーリの女豹”

1975年から週刊少年ジャンプで連載が開始された名作『サーキットの狼』は日本中を席巻し、スーパーカーブームという大きなムーブメントを生み出した。その波は日本におけるモータリゼーションの進化に大きな影響を与え、現在の自動車王国としての礎になったことは言うまでもない。今回は同作品の作者である池沢早人師先生に作中にも登場したフェラーリ308GTBについてお話をお伺いしてみたい。

日本にマッチしたボディサイズのV8フェラーリ

フェラーリ308シリーズはフェラーリの楽しさを教えてくれた師匠みたいなクルマだね。ボクがポルシェの930ターボに乗っていた頃だから1976年だと思うんだけど、友人が日本初上陸の308GTBを手に入れて、その話を聞きつけた某自動車雑誌が矢田部のコースでその308GTBのテストを行うことになった。

その取材にはボクも一緒に立ち会った。甲高いV8サウンドを響かせてバンクを駆け抜ける308GTBの姿がとにかくカッコ良かったのは今でも鮮明に覚えている。ボディカラーが黄色だったこともあり、矢田部の森と灰色の路面とのコントラストがとても映えていた。その時「いつかフェラーリ308を買おう」って思ったよ。

その思いは数年後に叶うことになり、愛車として308GTBのQV(クワロトバルボーレ=4バルブ)を手に入れた。512BBiを手放してフェラーリが無かったことと、308GTB QVの登場がきっかけだった。当時は308の4シーターモデルだったディーノ308GT4にも試乗して・・・正直迷った。一般的に人気の無いフェラーリとして知られているディーノ308GT4だけど、実用性とハンドリングは同じエンジンを載せた308でもGT4の方が上だった。

最終的には308GTBを選んだんだけど、フロントリップの形状が512BBみたいでカッコ良かったのもポイントが高かったね。その前に実は308GTSも手に入れていたんだけど、確かすぐにカウンタックLP400Sの下取りにだしちゃったなあ。当時は4〜5台のクルマを持っていたので、乗りきれないってこともあった。そしてその後、308GTB QVにリトルフェラーリの面白さを改めて教えてもらったことは間違いない。

余談だけど、ボクにとって矢田部のコースを走る黄色い308GTBの姿は一種の「刷り込み」になっている。後に348tbとF355を手に入れたんだけど、その両方ともボディカラーは黄色。V8フェラーリは赤ではなく、黄色が似合うと今でも信じているからね。

歴代フェラーリの中でも308GTBは上位に入る素晴らしいクルマだと思う。当時国内に導入されていたのは排ガス規制のかかった北米仕様ばかりだったけど、ボクが手に入れたのはパワーのある本国仕様。あの当時、北米仕様に乗っていたら308GTBに対する印象は違っていたかもしれない。

でも、リトルフェラーリは今のフェラーリを作り上げたルーツだと思う。スペチアーレな288GTOやF40のルーツでもあり、現在もミッドシップのV8フェラーリは308GTBのDNAを継承しているんだからね。「フェラーリ=12気筒」の時代は終わりを告げ、今や「フェラーリ=V8」が主流。誰も488やF8トリブートをリトルフェラーリとは呼ばないでしょ。

当時の日本では12気筒の廉価版みたいなイメージで「リトルフェラーリ」って呼ばれていたけど、308GTBは日本の道路にベストマッチのサイズ感とパワーをもつ最適なフェラーリだったと思う。

箱根や伊豆のワインディングでは振り回せるボディサイズが「操る楽しさ」を教えてくれ、12気筒エンジンの大パワーやビッグトルクには及ばないものの、V8エンジンを積んだ308GTBでのコーナリングはエキサイティングだった。実際に308GTBを手に入れたことで、ボクの中ではリトルフェラーリは「楽しいフェラーリの象徴」になった。

そのイメージがあったから、『サーキットの狼』では“フェラーリの女豹”こと田原ミカの愛車として登場させたんだ。田原ミカのネーミングは当時、お気に入りだった彼女の親戚の姓名から頂いたもの。308GTBのドライバーを女性キャラにしたのはリトルフェラーリのイメージもあるけど、単純に女性キャラも必要かな・・・と。今頃、あの彼女は幸せに暮らしているのかなぁ・・・。

Ferrari 308GTB

フェラーリ308GTB

GENROQ Web解説:ミッドシップV8フェラーリの礎

エンツォ・フェラーリによって創立されたフェラーリは、常にスーパースポーツの頂点を極め続ける崇高であり稀有な存在だ。モータースポーツとの関係は深く、初めて世に送り出した125Sもレーシンガーとして誕生した経緯を持ち、1950年から現在までF1GPへの参戦を続けていることでもレースに対する情熱を伺い知ることができる。

ここで紹介する308GTBは流麗なボディにV型8気筒エンジンをミッドに搭載するスポーツモデルだ。その誕生は1975年となり、数々のマイナーチェンジを施しながら1985年まで生産された息の長いクルマでもある。戦闘的なNACAダクトを備えたボディデザインはピニンファリーナが手掛けたもので、後のフェラーリのスタイリングに大きな影響を与えている。

そのデビューは1975年のパリ・サロン。先じて1973年にお披露目された2+2クーペであるディーノ308GT4をベースとした2シーターのミッドシップスポーツは、3.0リッターの排気量とV型8気筒、そしてベルリネッタ(クーペ)の頭文字を持つ308GTBと名付けられた。

初期モデルはボディ素材にグラスファイバーを使用するも、後にスチールボディへと切り替えられている。逸話としてその理由は、生産初期に工場でストライキが行われ、スチール製のボディが間に合わなかったためといわれている。また、当時のグラスファイバー技術は決して精度の高いものではなかったが、スチール製ボディに対して200㎏ものアドバンテージをもっていた。グラスファイバーモデルの生産台数は719台と言われ、現在では希少な存在として扱われている。

横置きのミッドシップレイアウトを持つパワーユニットは2926ccの排気量を持つV型8気筒DOHC。初期モデルは4基のウェーバー製キャブレターが与えられ、255hp/7700rpmの最高出力(北米仕様は240hp)を発揮した。1977年には脱着式のルーフパネルを持つ308GTSがデビューを果たし、ラインナップにオープンエアモデルが追加される。それに伴いグラスファイバー製のボディは完全に廃止され、全モデル共にスチール製へと変更されている。

1980年代には排気ガス規制の影響を受け、燃料供給装置をウェーバー製のキャブレターからボッシュ製のKジェトロニックへと変更。ネーミングも308GTB/GTSから308GTBi/GTSiとなり、末尾に付け加えられた「i」の文字がインジェクション方式を採用した証となる。翌年には2バルブのDOHCヘッドを4バルブ化したクワトロバルボーレを追加し、その布陣をより強固なものとした。

ちなみにボディディメンションは全長4230×全幅1720×全高1120㎜となり、ホイールベースは2340㎜。車両乾燥重量は初期のグラスファイバーモデルが1090kg、スチールボディの後期モデルが1330kgとなる。足まわりには前後共にダブルウィッシュボーンを採用し、最高速は252㎞/hと表記されていた。

当時のフェラーリは「V型12気筒エンジン」が主流であり、V型8気筒エンジンを搭載したモデルは「リトルフェラーリ」、「ピッコロフェラーリ」と呼ばれ差別化されていた。しかし日本市場ではV型8気筒エンジンを搭載したモデルは高い評価を獲得し、後に続く328、348、F355、360を経て488シリーズへと継承され、現在も高い人気を博し続けている。

TEXT/並木政孝(Masataka NAMIKI)

PHOTO/市 健治(Kenji ICHI)