「Kansaiサービス代表、向井敏之のルーツをたどる」チューナーほろ酔いインタビュー【チューナー列伝】

「Kansaiサービス代表、向井敏之のルーツをたどる」チューナーほろ酔いインタビュー【チューナー列伝】

オレは三菱よりも早くAYC(的なモノ)をカタチにしてた!

――それでは向井さん、知られざるエピソードからお願いします!

ええ加減な質問やな(笑)。オレ、今までに死にかかったことが3回あるんよ。1回目は免許取り立てだった高校生の時、近所でバイクに乗ってたら、コーナー曲がり切れずに川に落っこちて前歯を全部折っちゃってな。

2回目は鈴鹿でのバイクレースの時。終盤、入賞圏内を走っててラスト2周、シケインができる前の最終コーナーを全開で回ってたら路面が一部黒くて、白いかたまりが目の前に転がってるのよ。どうも周回遅れのバイクがコケてガソリンタンクが外れたんやろな。

でも、こっちは全開で曲がってるからもう避けようがなく、ガソリンタンクに乗り上げてそのまま滑っていって、熱い熱いと思いながらコンクリートウォールにドン! と。そんで気絶して気が付いたら病院やった。

 

――で、3回目に死にかかったのがクルマで…ってこと?

そう。谷田部最高速からの帰りにS14のテストがてら若いのに運転させてオレが助手席に乗って。ところが、その若いのが道を間違えて中央道に入っちゃった。でも、まぁ帰れるわと。時期は11月末くらいだったんやけど、諏訪の手前くらいで初雪が降った日な。

オレは助手席を倒して寝てたのよ。目を覚ましたら外が真っ白で、クルマがズズズ…って滑って前に進まん。で、ガードレールが近づいてくるのよ。あぶないからハザードを右手で押そうと思った瞬間にドーン!といって息ができなくなったんよ。

 

――ガードレールに突っ込んだと。

いや、後ろからオカマほられた。それもトラックに。そんで追い越し車線に飛ばされて、クルマが反対向きになってるとこにもう1台のトラックが突っ込んできてな。それでシートベルトで肋骨折れて、それが肺を突き破って。衝撃で脳みそも揺れてんじゃん。それで脳みそがずれて。

ハザードスイッチ押してクルッと回ったあとの記憶がないんよ。いまだにどこの病院に入ってたのかも覚えてない。1ヵ月弱くらい入院してたんだけど、新聞にも「初雪で大事故あり。向井敏之重傷」って出ちゃってな。

オレは記憶がないんだけど、肺に溜まった血を抜くため脇の下あたりにパイプをつけられて。その頃からヘビースモーカーだったんやけど、姉さんたちが言うには、知らないうちにお金を持ってタバコを買いに行くんだって。で、タバコを吸うとパイプの刺さってるところから煙がプゥ~って出るんよ。

 

――マンガみたいな話ですね。

一緒にタバコ吸ってる人がそれ見て「お前、おもろいオモロイやっちゃな~」と。でも、それを看護婦さんに見つかって病室に連れ戻されて、えらい騒ぎになったらしいわ。覚えてないけど。

そのあと京都の病院に転院して、そこから徐々に記憶が戻ってきた。でも、事故した直後の記憶はない。その前のことは思い出せるようになったんだけど。「オレだいじょぶか?」と思って圧縮比の計算とかしてみたらできたんで、あぁよかったわ…と。

 

――向井さんが記憶喪失なの、業界の人は知ってたんですか?

事故して記憶がない時、当時はHKS関西だったんでHKSにそのことを伝えたんですよ。そしたら、社長がこの話は一切外に出すなと。記憶が戻ってないんでヤバイと。ということで、とりあえず様子を見ようって。HKSの長谷川社長が箝口令を敷いたんだよ。

 

――それ、書いてイイんですか?

あぁ、いいよ。

 

――時代はさかのぼって、どんな幼少期を過ごしてたんですか?

ウチはおじいちゃんが宮大工やってて、親父も大工。でも、それだけじゃ食えないんで米やお茶もつくってた。いわゆる兼業農家やな。田んぼや畑もけっこう大きかったで。

で、まだ保育園に通ってる頃、春休みとかおじいちゃんが五重塔の修復に行く時、一緒に現場に連れてってもらってたよ。朝早く、6時何分とかのバスに乗ってな。

 

――宮大工の現場を見てたと。

現場も見てたけど、使いっ走りもな。「お前、3時になったらお茶やからな」と、お金もらって茶菓子を買いに行かされて。休憩時間に間に合わせるため、バーッ走って行くわけや。

 

――『初めてのお使い』状態だ(笑)。

そうやな(笑)。おじいちゃんが五重塔の角の瓦をめくって修理してるんをよく覚えてるんやわ。おじいちゃんがいる時はハシゴを登らせてくれて。今みたいに足場じゃなくてハシゴやで。

おじいちゃんの仕事は瓦をはいだところに板を貼ってきれいに直すこと。まぁ下地づくりやな。ウチのおじいちゃんは敏朗っていうんやけど、「まぁまぁ、今回もええ出来やわ」と言いながら、貼り終えた板の端っこに“何年何月、マル敏”と筆で書くわけや。

何書いてんの? と聞くと、「これはオレのした仕事や。マル敏ってひとがここ修理したんやと。それが何百年か経った時にまた修理がある。その時、瓦をめくられて、“なんやこのオッサンの仕事は”と言われるのはカッコ悪いやろ。

だから、オレはこんだけいい仕事をしたんやっていう証拠のために、何百年経ってもマル敏がここを修理したんやというのを残すためにサインしてる」と。実はそれがウチのカルテの始まりや。

 

――へぇ~、そうなんですか。

それが残ってる。だから、オートバイん時も自分でモトクロスやってる時も全部データを残すんですよ。いつガスケット換えてピストンリング換えて…と。で、こんだけ走ったと。

 

――なるほど、そこにつながると。

そう、おじいちゃんは仕事をしたことを残せと。それがいちばん印象的だった。サインしたってことは。

 

――てことは向井さん、おじいちゃん子だったんですか?

ウチは姉さんが2人いるねん。上が7つ、下が5つ違って最後にできた男の子がオレやねん。だから、おじいちゃんはかわいがってくれたな。

宮大工やから道具の手入れとかするやん。でも、カンナとかは宮大工の命やから絶対に触らせてくれん。でも、オレはやりとうてしょうがなかったな。

 

――向井さんの名前は、おじいちゃんの敏朗からひと文字取ったと?

そう、おじいちゃんが敏朗、親父が敏次やねん。で、男の子が生まれたら、おじいちゃんが敏之って決めとったみたいやね。後で聞いた話やと。

 

――クルマのチューニングに興味を持ったのは、やっぱバイクからつながってるんすか?

そう、きっかけはバイクやね。高校ん時。オレ、3月生まれやん。5月6月生まれのヤツはもう単車乗っとるわけ。オレも乗りたくてアルバイトも結構してたんで、残りはおじいちゃんローンでバイクを買ったんや。ヤマハHT90のベースモデルを内緒で。

 

――免許を取る前のことですよね。

親父には「お前、捕まるぞ」みたいなこと言われたけど、パトカーも少ないし、移動しよう思ったら単車でないとどうしようもない。でも、県道を走ったりすると見つかるかわからんし、ウチに茶園があって農道があるから、そこを往復してたわけや。

そのうち近所でゴルフ場の造成が始まってな。そうすると、またええコースができるんや(笑)。だいたい夕方5時半から6時になると工事のひとも帰りよるねん。そのあと走り回ってた。一般道はダメやけど、私有地ならポリにも捕まらんしな。

 

――向井少年、16歳になってバイクの免許を取ったあとは?

あちこち走り回りながら、イジることにも興味を持ち始めた。単車の雑誌を買ってくるとチューニングの話が出ててくるねん。このパーツを換えると速くなりますみたいな。

当時、横浜にヤマハのチューニングで速いバイクをつくる野口モータースってのがあって。そこでダウンチャンバーとか圧縮比の高いヘッドとか売っててたんやけど、それがほしくてほしくてバイトをガンバって買うわけや。で、雑誌見ながら自分で取り付けて。

 

――見よう見まねでやってたと。

んで、さっき言ったように交換したパーツをノートに書き留めていく。そうやってチューニングしてた。

でも、速くはなんねんけど、それがどれくらい速くなってるのかがわからへんのよ。たしかに前より速いで。あんまり変わらんけど、ちょっと速いような気がすんねん…と。キャブのジェット換えてプラグの焼け具合を見て、これでええのかなみたいな。

で、困ってどうしよか思ってる時に、学校にストップウォッチがあるやん。ヨーイドンで走ってタイムを測るわけやん。これや、これええやん! と。

 

――突破口を見つけた向井少年。

ところが、当時ストップウォッチは高価だったんで学校でも体育室の金庫にしまってあった。オレはそれがほしくてな。バイクでレースしてるんは体育の先生も知ってたんで、「実はタイムを計りたいんで貸してくれ」と言ったら、お前こんな大事なもん貸し出しできるか、いくらすると思ってんねん! と。

ところが、昼休みに体育の先生から呼び出しがあって。また怒られるんかな思って職員室に行ったら、「内緒やぞ」って中古のストップウォッチをくれたんや。お前、ほしい言うてたやろと。タオルでぐるぐる巻きに包んで渡してくれた。大事に使えよ、と。

 

――いい話じゃないですか!

ただ、測れんのよ。オレが走りながらだと。困ったなと思った時に、そうやそうや、連れがおるやんと。そんでいつも走ってる造成地のある場所に杭を打ってここがスタート。で、学校からこっそり持ち出した巻尺で250mとか測って、そこにも杭を打ってフィニッシュラインにした。

そこに連れを立たせて旗を振ると同時にストップウォッチを押して、オレがバイクでゴールした瞬間にもう一度押せと。それを3回やって平均を取るわけ。で、ジェットを換えてさ、連れがもう帰ろうよと言ってるところ、あと1回だけ測って! とかな。

 

――感覚的に速いと思ってたところを数値化したわけですね。

それを続けてくと、たしかに速くなるで。ちょっとずつな。ま、誤差はあるけど3回の平均やからよしとしよう。

ジェットを交換して燃料を薄くすると、やっぱ速くなったぞと。それをデータとして取っていって、次はポートを拡大。上を削ると速くなるらしいし、吸気の幅を拡げたらええみたいやぞと。奈良まで行ってドリルの先に付ける砥石みたいのを買ってきて、ちょっとずつポートを削るんや。2ストやから作業も早い。ガスケットは毎回換えずに、ま、再使用やなと。それでまたタイムを取ると速くなってる。その繰り返しや。

 

――その頃からちゃんとデータを取ってたんですね。

取らんとさ、速くなっとるかどうかわからんやん。そのうち、タイムを測ってたとこが舗装されてな。タイヤが滑らんようになって。これでまたタイムが均一化されてくわけや。

 

――ダートよりもトラクションが安定するようになったと。

だから、関西ニュル(仕上がった車の調子を見る近所の峠道)があるんと一緒やん(笑)。

 

 

 

道上 龍のお母さんに“ヒネちゃん”というあだ名を付けられた…!?

――で、18歳になってクルマの免許が取れると、興味がそっちに移っていくことに?

当然、クルマにいくんやけど、単車もいくからさ。稼いだ金はクルマと単車に全部突っ込んで、家には一切入れてないし服なんかも買わんし。だって、そんなんもったいないやん。それよりクルマや単車のパーツやろ。

 

――最初に買ったクルマは?

中古のサニークーペ。A12型エンジン積んどるヤツな。

 

――それ、イジるんですよね?

もちろんもちろん。ただ、入れてるオイルが悪くて、乗ってるうちにカムシャフトのあたりからキーキー言い出して。たぶん焼けだしたんやろな、安物オイルやったし。修理に結構金かかるぞなんて言われて。

次に買ったんがGTO。安く買えたんはよかったんやけど、真っ直ぐ走らへんのや。そんで修理屋のおっさんに、トーインかなんか狂ってんちゃうか? こんなんアカンわ言うてな。足回りを見たらなサイドスリップは合ってる。でも、おかしいでと。

そしたらな、左右でフェンダーのすき間が違うんで、メジャーを使って寸法を測ったら2cmくらいズレてる。で、修理屋に行って言うたんよ、左右でホイールベースが違うから真っ直ぐ走らんて。

クルマを上げてみたらフロアが継いであってニコイチやったんやな。

 

――あちゃぁ~、つかまされちゃいましたねぇ…。

こりゃなんとかせな、左右で長さだけは合わせなあかん。そこで考え付いたんが、ロワアームあるやんか、それを切って溶接して合わせた。キャンバーとかはだいだいこんなもんやろと。そん時な、キャンバーがどれくらいか、何で見たと思う?

 

――ん? 分度器…とか??

水準器や。それを置いてまずな、どうするかっていうとできるだけ平らなとこを探すわけ。そこに土を盛って水準器で確認しながら水平をつくって地べたに木を埋める。クルマをそこに載せてタイヤの横に木を当てて鉛筆で印をしたら、今度はそれを分度器で見て左右のキャンバー角を確認するんや。

そんで修理屋に持っていって、もっと叩いてくれとか引っぱってくれとか、アームを切って溶接で継ぎ足したりとか。それでまたウチに乗って帰ってキャンバー角を見て、もう少しこうしてほしいなんてやってたな。

 

――ここまで話を聞いて、なんで向井さんがチューナーになったか? なんとなくわかったような気が…。

そのへんの話はこれまで雑誌に出てないし。死にかけた話もな(笑)。

高校生ん時もそうやったし、クルマをイジるようになってからも、他人よりよくしたい、速くしたいっていう気持ちはずっとあるわけやんか。

金持ちの友達とかは新車でトヨタとか乗ってるわけ。オレは買われへんけど、負けず嫌いやからチューニングするようになった。

――最初はプライベーターだった、と。

その頃、奈良のアウトバーンっていうショップがアルバイトを募集してて、そしたら「クルマが好きなヒネちゃん言うのがおるで」って。ヒネちゃん言うんはオレのことで、顔がこどもなんに声がおっさんみたいやから、ヒネてるひと…ってことで、ヒネちゃんヒネちゃん言われててな。それ言い始めたんが、道上 龍のお母さんや。

その頃、HKSのL型ターボキットの存在を雑誌で知って、これはスゴイもんが出たってことで現金持ってHKSまで買いに行ったよ。まだワンキャブのターボやったな。

 

――HKSが立ち上がって間もない頃の話すよね?

そう。長谷川社長以下、まだ3人しかおらんかったんじゃないかな。勇さんが入る前のことやからね。

 

――時代ですなぁ。

アウトバーンでL型ターボをたくさん組んで走らせてたら、長谷川社長から「滋賀の方にターボキット組んで調子が悪いって言ってるショップがあるから、向井、ちょっと行って見てやってくれ」なんて話が出てくるようになって。んで、行って走って直して。「取り付け方が間違ってましたよ」みたいに簡単にレクチャーもして。

そんなんがあって自分もレオーネでダート競技をやってる時、勇さんから「HKSのサービスセンターになれ。HKS奈良をつくれ」って言われてたんだけど、競技やりたいからそれはイヤやと。そこで自分でツインパワーいう店を立ち上げて、ジムカーナやラリーのクルマつくったりチューニングしたり。

 

――クルマでもダート競技に首を突っ込んでたんすね~。

始めはSA22CのNAでドライバーは長嶋。ペリ仕様にしてたんやけど、それじゃ勝てんからターボつけて。長野だったと思うけど、直線の長いコースで一度だけトップを取ったことがあるかな。

そのあと、長嶋はカローラでやってたんだけど、途中で4駆が速いってことでレオーネに乗り替え。始めはNAやったんで速くないし曲がらんし。そこでまずはパワーアップのため、ダウンドラフトのワンキャブターボ仕様にしたんや。

それまでHKSのターボキットをさんざん取り付けてたからお手のもん。そしたら直線は速くなったんやけど、相変わらず曲がらない。

 

――解決策は?

そこで思いついたんが、今で言ったらフロントのAYCや。古いレオーネってフロントにサイドブレーキがついとるやろ。んで、なんか作業をしとる時にサイドブレーキのワイヤーを留めるピンがうまく入ってなかったんやろな。

テスト走行でサイドブレーキ引いたら、クルマがクルッと1回転したんよ。

 

――片効きしてたんだ。

そん時は、「なんだなんだ、なにが起こったんや!?」と。止まるつもりが回ってもうた。で、ちょっと考えたら…これや! ブルドーザーと一緒や!! と。片方を止めてもう片方を回したらええやん。フロントを片方を止めてアクセル全開にしたら、フロントにはLSDが入ってないからクルッと回る。

 

――左右の回転差を積極的に生み出して曲がらせる、まさにAYCだ!

ただし、電子制御式でなく手動式な(笑)。サイドブレーキレバーを右用と左用、2本付けたんよ。それをコーナーによって使いわける。そうすると直線はイケるし、パイロンもアクセル全開で完璧に回れるのよ。そんなんで長嶋は、モンスター田島さんとかと全日本ダートラで争ってたわけ。

そのあと、サイドブレーキをワイヤー式から油圧式に変更して、曲がりたい方向に合わせてスイッチを押して、片方の油圧を止めてからサイドを引いてたんやけど、それだと走ってるうちにわけわからんようになるんで、あかん、なんかええ方法はないかと。

そんで左に曲がる時はスイッチを押してサイドを引く。で、右に曲がる時はウインカーレバーを連動させて、ウインカー操作をしてからサイドを引け、と。これで完璧や。

それで、各地方でトップを取った連中が鈴鹿に集まって開催されたオールスター戦で長嶋が優勝したんよ。そこでツインパワーの名が全国に広まったんやね。

 

――ついに全国区のショップになったんすね!

そしたらHKSの勇さんが、「ダートラで全国制覇したんやし、もうHKS奈良をやれ」と。でも、奈良はイヤなんで関西やったらやってもええけど…と冗談で言うたら、勇さんが「だったらもう関西でええよ、HKS関西でやれよ」と言うんで、こりゃ断り切れんぞと。オレ、ヤル気なかったんにな(笑)。

 

――HKS関西サービス誕生の裏には、そんな話があったんだ!!

というかお前、電話かけてきた時、「RB26の話を聞かせてくれ」とか言うとらんかったっけ? オレこんな話しかしとらんけど、ちゃんと記事になるんかいな? 心配やなぁ…。

 

――たぶん大丈夫です!

よし、そしたらそろそろ次の店に行くか! 仕事抜きでな(笑)。

●TEXT&PHOTO:廣嶋健太郎(Kentaro HIROSHIMA)

●取材協力:Kansaiサービス 奈良県奈良市小倉町1080 TEL:0743-84-0126/撮影協力:日本料理 竹の家 奈良県奈良市法華寺町254-1 奈良ロイヤルホテル内 TEL:0742-34-4671