池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第14回:日本車離れしたスタイリングに惹かれ、Zはボクのルーツになった」

池沢早人師に訊くスーパーカーブームのウラ側「第14回:日本車離れしたスタイリングに惹かれ、Zはボクのルーツになった」

“シュトコー戦闘隊・神風”が印象深いZ

名作『サーキットの狼』の作者であり、スーパーカーブームの火付け役でもある池沢早人師先生。漫画家としてデビューを果たした若き時代、原稿料で買い求めた一台のクルマがニッサン・フェアレディZだ。作中では“魅死魔国友”や“沖田”の愛車として登場し、日本を代表するスポーツカーの一台として名を馳せる。今回は先生が憧れたS30型フェアレディZについてお話をお伺いしてみたい。

漫画家デビューの頃、カスタムしたZに心を奪われる

『サーキットの狼』がボクのデビュー作だと思っている人も多いようだけど、漫画家として初めて連載を持ったのは1970年から連載が始まったギャグ漫画『あらし!三匹』なんだよね。だから2020年で漫画家人生は50周年を迎えることになる(笑)。

前にも話したけど、当時のボクは近所に駐めてあったレーシング仕様に改造されたフェアレディZにひと目惚れしてしまい、担当の編集者に「フェアレディZを買おうと思うんだけど・・・」と相談したら、「スポーツカーは危険ですから」という理由でトヨタ・コロナ1700SLを買わされてしまった。

でもね、コロナでは納得できなくてすぐに買い替えた(笑)。当時のS30型フェアレディZは、ロングノーズとショートデッキのスタイルがとても斬新だった。あの頃の日本車はコロナやカローラ、サニーみたいな箱型のファミリーカーが主流の時代だったから、スポーツカーらしいスタイルはとてもカッコ良かった。

ボクは基本的にクルマをカスタムしないタイプだけど、フェアレディZはカスタムしまくったよ。車高を落としてルーフを赤色のレザートップに貼り替えてボディの横には赤いライン。マフラーはZ432用の縦型のデュアルに交換して、鉄チンホイールにファイヤーストンを組み合わせていた。

今思えば、なんで鉄チンホイールにファイヤーストンだったんだろう? かなりイケてない感じだよね(笑)。カスタムしてしまったからハンドルは重いし、道路の凸凹を拾って乗り心地は最悪。でも運転していて楽しかったのは今でも鮮明に覚えている。自分が欲しいクルマに乗るって大切なんだなぁ・・・と思ったね。

ボクにとってフェアレディZは大きな存在だったことは間違いない。Zに出逢ったことで免許を取ろうと思ったし、カスタムする楽しさも経験した。そして、当時のフェアレディZは実際にレースにも使われていたから、その勇姿を見るために富士スピードウェイにも通ったよ。1971年から始まった富士のグラチャンではマクラーレンやシェブロン、ローラなどのレーシングカーに混じってGTSクラスとしてフェアレディZが走っていたんだけど、雨のレースで優勝したのは感動的だったねぇ。

モンスターマシンを相手にプライベーターとして戦う柳田春人選手は「Zの柳田」と呼ばれるようになり、日本中のフェアレディZオーナーの憧れだった。今ではZの柳田さんとはプライベートでお付き合いさせてもらっているけど、会う度に富士スピードウェイでの活躍を思い出す。本当の意味でのレジェンドドライバーだね。

フェアレディZと出逢ってなかったらレースを観に行かなかった可能性もある。Zを通してレースの楽しさを知り、自分でもサーキットを走ってみたいと思うようになって、ロータス・ヨーロッパを手に入れてA級ライセンスを取りに行った。それをきっかけにレースや自動車の世界へと足を踏み入れることになり、そこで経験したことや仲間たちとの出逢いが『サーキットの狼』を生み出すことになる。

作中にはフェラーリやポルシェのライバルとして“魅死魔国友”のZ432Rや“沖田”の新撰組で使われる240ZGを登場させたんだけど、描いたイメージは1970年代のグラチャンで格上のレースカーと戦ったフェアレディZがベースになっているのかもしれないね。ボクにとってフェアレディZは人生を変えるきっかけになった存在であり、今でも心に残る大切な一台でもある。

NISSAN FAIRLADY Z

ニッサン・フェアレディZ

GENROQ Web解説:世界に進出した国産スポーツカー

ロングノーズ、ショートデッキの美しいスタイルを持つ初代S30Zは、1969年に登場すると北米を中心としたスポーツカーファンを熱狂させた。日本国内ではSP、SR311時代のダットサン・フェアレディと共通のネーミング「フェアレディ」を与えられているが、北米市場ではフェアレディの名前は使われず「Z CAR(ズィーカー)」と呼ばれ、Zの前に排気量を意味する数字を付して240Zや280Zと称されている。

生産時期は1969年から1978年とされ、搭載されるエンジンはL型と呼ばれる直列6気筒が使用された。排気量のバリエーションによりL20型(2000cc)、L24型(2400cc)、L28型(2800cc)に分けられ、その他にL20エンジンのヘッドをDOHC化した高性能なS20型エンジンを搭載した希少なZ432も用意された。432の名前は4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトを意味し、スカイラインのGT-Rと同様の競技車両ベースモデル。現在では希少車として驚くほどのプレミアムが付けられている。

ちなみに、日本国内ではL20型エンジンを搭載した2リッターモデルがスタンダードな存在として人気を博し、上級モデルとしてL24型を搭載した240ZGがラインナップされた。輸出モデルにはL24型と後に更なる排気量アップを施したL26型が投入され、1975年にはさらに排気量を拡大したL28型エンジンへと変更している。

ボディディメンションは全長4115×全幅1630×全高1280㎜となり、グランドノーズ(Gノーズ)と呼ばれるフロントバンパーとオーバーフェンダーを備えた240ZGは全長4305×全幅1690㎜となり、当時としては驚異的なCd値0.39を実現。エアロダイナミズムを具現化したスタイルは大きな人気を博することとなる。

ボディのバリエーションは3ドアファストバック2シーターと、同4シーター(2 by 2)の2タイプとなり、メカニズムは軽量なモノコックボディに前後共にストラット式のサスペンションを使用する4輪独立懸架を採用。日本における当時の価格は84万円から105万円とリーズナブルに設定されていた(ただしZ432は182万円、後発の240ZGは150万円と、当時としても高額な設定)。

初代S30Zはモータースポーツとのかかわりが深く、デビュー翌年の1970年には240ZがRACラリーへと参戦して総合7位、クラス2位の成績を納め、1971年のモンテカルロ・ラリーでは総合5位、クラス2位を獲得。同年のサファリラリーでは240Zがワンツーフィニッシュを飾り、総合、クラス、チームの3冠を達成。世界中に「Z」の名前を轟かせることになる。

また、日本国内では1971年の全日本鈴鹿300㎞レースで240Zが優勝。同年の富士グランチャンピオンレースGCクラスで柳田春人選手が240Zで優勝を果たすなど、国内外のモータースポーツシーンで輝かしい功績を残している。日本におけるスポーツカーの歴史を塗り替え、世界に名を知らしめたS30Z。その功績は大きい。

フェアレディZ(Z-CAR)はS30型のデビューから半世紀を迎えた現在も血統が守られ、6世代目へと進化を遂げた。しかし、現行モデルのZ34型もデビューから10年を越えたこともあり、予想では2020年に新たなモデルとしてZ35型が登場すると噂されている。

TEXT/並木政孝(Masataka NAMIKI)

PHOTO/降旗俊明(Toshiaki FURIHATA)