『衝撃のVG30DET搭載R31スカイライン!』S&Sエンジニアリング製作、その名も“ドリフトパッケージ”!【ManiaxCars】

『衝撃のVG30DET搭載R31スカイライン!』S&Sエンジニアリング製作、その名も“ドリフトパッケージ”!【ManiaxCars】

オーテック・ザガート・ステルビオとの深い関係性

ミッションを4速ATから5速MTに換装!

その存在が公にされたのは1994年のこと。オーテックジャパンがHR31にVG30DET+4速ATを搭載したS&Sドリフトパッケージである。車両持ち込みの場合、改造申請書付きで200万円、ベース車込みのコンプリート販売では年式やグレードによって300~350万円というプライスが掲げられた。生産台数は試作車を含みわずか5台、実働状態にあるのは2~3台と言われ、R31シリーズの中でも群を抜いてレア度が高いモデルである。

S&Sドリフトパッケージには、病によりR31の開発主管を退かなければならなかった櫻井眞一郎氏の思いが込められている。94年当時、オーテックジャパンの社長であった櫻井氏は、こう述べている。

「最後までつくり込むことのできなかったR31に手を加え、ひとつの回答として示したい」と。

一方で、その誕生には別の事情もあった。発端は90年登場のオーテック・ザガート・ステルビオである。限定200台の販売だったが、デリバリーされたのは100台強。それ用に確保していたエンジンとミッションが余ったため、92年に限定30台でザガート・ガビアを送り出すも20台弱が売れただけだった。

つまり、その時点でオーテックジャパンには行き場を失ったVG30DETと4速ATが数10基ずつ残されていた計算になる。それを少しでも捌くために企画されたのがS&Sドリフトパッケージであり、ステルビオと同じ320ps/41.0kgmというVG30DETのスペックが、その証拠と言える。フロントフェンダー後方になぜかザガートのエンブレムが付いているのは、2台が共通のパワーユニットを搭載しているからに他ならない。

また、ステルビオ開発の際、ベースのF31とシャシーが共通のR31で、まずはパワートレインのフィッティングを確認していたことも無関係ではない。オーテックジャパンはR31にVG30DETと4速ATが搭載可能なことをすでに知っていたのである。

取材車両はミッションが5速MTに換装されている。オーナーに理由を尋ねると実はステルビオも所有し、VG30DETと4速ATの組み合わせが2台あっても仕方がないからミッションを載せ換えたとのことだ。

ホイールはS&Sドリフトパッケージに標準装着されていたオーテック特注のワークE-WING。サイズは8JJ×16インセット12で、225/50R16サイズのポテンザRE-11が組み合わされる。

サイドステップはボディ全塗装を機に装着したというマニア垂涎のADThree製。また、外装ではオーナーの好みによりモアコラージュ製リヤスポイラーも追加されている。

センターコンソール中段、灰皿の取っ手部分にオーテックバージョン同様、同社のロゴ入りプレートが装着される。スピードメーターは260km/hフルスケールのインパル製に交換。オーナーいわく、「メーターを振り切るほどの実力があるので、正直速いですよ」とのこと。

交換された明るいタン色のステルビオ純正シートに収まって試乗に出る。それなりのペダル踏力が要求され、ミートポイントも割とシビアなクラッチに気を遣いながら発進。さすが排気量3.0L、2000rpmあたりで十分なトルクがあり、4速5速でルーズに走ってもグズる気配がない。2800rpmで最大トルクを発生するから、常用回転域で乗りやすいのは当然である。

しばらくクルージングしたあと、状況を見ながら2速までシフトダウン。今度はそこからフル加速を試みる。3000rpmから大きなトルクで押し出されていくような感覚を覚え、4500rpmを超えるとタービン過給をアピールする金属的なサウンドと野太いエキゾーストノートを伴いながらパワーを大きく盛り上げていく。

驚いたのは7000rpm+αまでシャープに回り切ったこと。トップエンド付近でも詰まった感じがまるでなく、V6らしからぬスムーズさを兼ね備えているのも意外だった。

そんなエンジン特性にマッチしているのがファイナル比。ノーマルの4.1から3.7へとハイギヤード化が図られている。そもそもVG30DETは低速トルクがあるから、街乗りでハイギヤード化がデメリットになることはない。それより各ギヤにおける高回転域での伸びが強調され、息の長い加速を楽しめるというメリットの方がはるかに大きい。

R31にV6エンジンはたしかに異質だ。しかしV35以降、V6がスタンダードになったことを考えると、S&Sドリフトパッケージはスカイラインの未来を先取りしていたとしか思えないのも、また事実である。

●PHOTO:小林克好(Katsuyoshi KOBAYASHI&TEXT:廣嶋健太郎(Kentaro HIROSHIMA)