故障がマセラティを有名にした【渡辺慎太郎の独り言】

故障がマセラティを有名にした【渡辺慎太郎の独り言】

ビトゥルボ時代の「当たり」

マセラティに初めて触れたのは、この業界に入ってすぐの頃だった。自動車メディアで働くつもりなどこれっぽっちもなかったのに、縁あって某自動車専門誌の編集部で働かせてもらうことになったのだけれど、当時の編集長がなかなか瀟洒な人で、マセラティ(222SR)に乗っていたのである。

クルマのことはまだよく分からなかったし、ましてや「マセラティ」についても「222SR」についても、人に語れるほどの知識を持ち合わせておらず、「へーこれがマセラティかあ」くらいにしか思わなかった。何よりも編集長の愛車だったからちょっと近寄りがたく、それ以上の興味も湧かなかった。ところがやがてその222SRを、編集長の次に多く運転することになる。

マセラティ_国際試乗会_トライデントロゴデザイン図

とにかく、まぁよく壊れたのである。窓が開かない(閉まらない)、エアコンが効かない、電子制御式ダンパーの切り替えがうまくいかない、エンジンチェックのワーニングランプが点灯するなど、これでもかってくらい次から次へと不具合が勃発した。それでも「こんなのちっちゃいトラブルばっかりで、動かなくなったりしないんだから、むしろこの222SRは当たりだよ」と編集長はまったく動じていなかった。「これで“当たり”って・・・」と、若輩者の自分は編集長の言っている意味がよく分からなかった。

自走はできるから、不具合が発生する度にディーラー(ガレーヂ伊太利屋)へ持ち込むことになる。こういう“おつかい”を担当するのは新人編集者であり、だからしょっちゅうマセラティのステアリングを握っていた(あるいは半ば強制的に握らされていた)というわけである。乗る機会が増えると、自動的に興味は湧くし次第に情も移る。ガレーヂ伊太利屋のショールームでいつも新車のマセラティを眺めているうちに、222SR以外のマセラティにも乗ってみたいと思うようにもなるし、本社や工場にも行ってみたくなった。

マセラティの企画書なら編集長のOKがきっともらえるだろうという企みはまんまと思惑通りになり、でも南回りの飛行機をあてがわれ、24時間以上もかけてはるばるモデナの本社へひとりで取材にも行かせてもらった。いつの間にか大好きになっていたメーカーの本社とそこに隣接する工場の訪問は見るものすべてがキラキラしていて、ラインで働く作業員のユニフォームや社食のカトラリーやナプキンなどにあしらわれたマセラティのエンブレムが、異様に格好良く目に映った。

マセラティ_国際試乗会_工場外

モデナ工場は次世代スーパースポーツ用に

なんてことを、久しぶりに再訪した本社工場を見学しながら思い出した。初めてここを訪れたのはもう20年以上も前で、その後も何度か訪れているけれど、よりによって今回過去の記憶が蘇ったのは、このモデナ工場が年内をもっていったん操業を停止すると聞いたからである。

マセラティは現在、イタリア国内に3ヵ所の生産設備を持っていて、ミラフィオーリ工場ではレヴァンテ、グルリアスコ工場ではギブリとクアトロポルテ、そしてモデナ工場ではグラントゥーリズモ/グランカブリオを生産しているが、グラントゥーリズモ/グランカブリオの生産は年内で終了することがすでにアナウンスされている。その後、工場内は一掃されてからまったく新しい生産ラインが構築されるという。そこを流れるのはマセラティの関係者いわく「スーパースポーツカー」だそうである。

それがいったいどんな車種でどれくらいの生産台数になるのかはまったく分からないけれど、フィアットとクライスラーとの関係が親密になる前に開発された、現在のラインナップでは唯一の“生粋”のマセラティであった2モデルが、ついにその生涯に幕を下ろすというのはなんとも残念だ。おそらく、同時に自然吸気のV8も姿を消すだろうし、スーパースポーツカーは電動化されているかもしれない。今年で創業105年となったマセラティは近々、新たな歴史の節目を迎えることになるだろう。

マセラティ_国際試乗会_工場

マセラティは壊れなくなった

ちなみにこの本社工場、一部は1939年の操業開始当時の建屋が現在も使われており、歴史的建造物として指定されているが、生産ラインはもちろん最新鋭である。また、アルファロメオ4Cの生産も請け負っていて、今回の訪問でも敷地内に出荷を待つ何台もの4Cの姿があった。ここには研究開発施設も併設されていて、4Cの他にステルヴィオやジュリアが多く見られたのは、マセラティとパワートレインを一部共有しているからとのことだった。研究開発施設も設計/生産技術も他のメーカーと比べても遜色はなく、だから最近のマセラティは本当に壊れなくなった。

「マセラティは壊れる」という不名誉な評判が世界中に広まったのは、1975年から1993年までのデ・トマソ傘下の時で、222SRをはじめとするいわゆる“ビトゥルボ時代”だった。228/430/2.24V/カリフ/スパイダーザガート/ギブリなど、“それまでにない”豊富なラインナップを揃えていたものの、“それまでにない”台数の生産を余儀なくされた結果、品質の低下を招いたと言われている。しかし、この時代はマセラティが“それまでにない”販売台数を記録した期間でもある。マセラティはデ・トマソ時代を黒歴史と捉えているようだが、不名誉な評価とともにマセラティの名が世界中で認知されるようになり、ラグジュアリーで煌びやかなブランドイメージが広く浸透したのも、実はこの時期だったというのはなんとも皮肉な話である。

マセラティ_国際試乗会_V8

いまから10年ほど前にビトゥルボ時代のギブリを所有していたことがある。2.8リッターのV6ツインターボにゲトラグ製6速マニュアル・トランスミッションを組み合わせた仕様で、ボディカラーは赤、インテリアはタンの組み合わせだった。これが“マイ・ファースト・マセラティ”だったのだけれど、自分にとってのマセラティブランドの基礎は(たとえ黒歴史であろうと壊れまくろうと)ビトゥルボ時代から構築されたものであり、どうしても自分自身でオーナーになってみたかったのである。

初対面から20年近くの月日が流れ、それなりの経験を積み知識を得てあらためて乗ってみると、それはもうなんとも奇想天外なクルマだった。左ハンドルなのにドライビングポジションはハチャメチャで、シートとステアリングとペダルの位置関係が明らかにおかしい。ダッシュボード上に敷かれたアルカンターラはフロントウインドウにしっかりと映り込んで前方視界の妨げとなっている。

エンジンは「こういうのをいわゆる“ドッカンターボ”と言うのですよ」のお手本みたいな特性で、そのくせリヤのトラクションは常に不足気味だから、雨でも降ろうものなら交差点の信号が青に変わってもお尻を振っていっこうに前へ進まない。エンジンチェックのワーニングが点灯して、慌てて整備工場に持ち込んだら壊れていたのはエンジンではなくワーニングランプのほうだった。それでも、スタイリングや室内の雰囲気やちょっとトリッキーだけど決まるとすこぶる気持ちがいいハンドリングとか、他の何とも似ていないマセラティならではの強烈な味がそこにはあった。

マセラティ_国際試乗会_レヴァンテ_2台

味を守る方法

現行のマセラティのラインナップでもっとも新しいレヴァンテのV8搭載モデルに乗っても、昔ほど濃厚ではないにせよ、依然としてマセラティの味はちゃんと存在している。SUVという彼らにとっては史上初めての商品であっても、味に対するこだわりはその随所に窺えるし、味を成立させるためなら、ある性能が若干低下してしまってもトレードオフする潔さも感じられる。

昔のマセラティのサウンドはいまほど官能的ではなく、ビトゥルボ時代にはアンサ製マフラーに交換して音をチューニングするオーナーが少なくなかった。ところがいまでは、マセラティといえば官能的エンジンサウンドがもれなくついてくる。この音は澄み切った清々しい類いではなく、適度な雑味が混ざっていて、これがスパイスのような効果を生んでいる。雑味の成分の一部は、フロアの微振動やエキゾーストシステムのビビりなどだったりするのだけれど、日本のメーカーだったら絶対に看過できないだろう。マセラティは、ブランドにとって何を優先するべきか、何を捨てるべきかをよく分かっているのだ。

優先と言えば、マセラティの国際試乗会は試乗時間や距離が他のメーカーと比較して圧倒的に少ない。いつも「え?こんだけ?」「もう終わり?」みたいな感じである。ドイツ人や日本人の真面目なメディアやジャーナリストは試乗時間延長のリクエストをしたり、コーヒーブレイクや食事の時間を削ってまでクルマに乗ろうとするのだけれど、そんなときはいつも広報部のスタッフに優しくたしなめられる。

「皆さんなら、優れたクルマはちょっと乗っただけですぐにわかるでしょう。いまはどうぞ料理や風景、レストランやホテルで過ごす時間を楽しんでください。マセラティの魅力とは、そういうものと融合したその先にあるのです」

確かにクルマは日本へ来た後でいくらでも乗れるけれど、試乗会の開催地として選ばれた土地の雰囲気や文化や慣習はそこでしか味わえない。彼らはやっぱり、優先すべき事項をいつも心得ているのである。

文/渡辺慎太郎(Shintaro WATANABE)