【連載】渡辺慎太郎の独り言 Vol.02「ROLEXとSEIKO」

【連載】渡辺慎太郎の独り言  Vol.02「ROLEXとSEIKO」

日本製と舶来物。

年末にデパ地下に行ってお正月用の食材なんかを買い求めていたときのこと。ある老舗の漬け物屋さんで支払いの時に5000円札を出したら、小銭と共に新札の1000円札3枚が返ってきた。レジのほうをよく見ると、客から預かったお札は横によけて、お釣りにはキャッシーの中にある新札をわざわざ出していた。新年にはお年玉とか何かと新札があるとありがたいと思うことがあって、それを気遣っての日本人らしい粋な配慮である。昔は年末になるとこういうことが当たり前だったのだけれど、最近はめっきり遭遇する機会が少なくなっていたからなんだか懐かしく嬉しくて、一気に年末年始の気分が盛り上がった。

しばらくデパ地下をぷらぷらしていたら、いくつかのショップの前に行列が出来ていた。そのいずれもがアルファベットは無論、カタカナで書かれても読むのが難しい名前の洋菓子屋ばかりだった。いっぽうで、かの千疋屋総本店の前にお客の姿はなく、ストロベリーショートケーキやモンブランやオレンジジェリーがディスプレイの中で寂しそうに並んでいた。

舶来物を拒絶するわけではないけれど、自分の舌にはやっぱり子供の頃から慣れ親しんできた日本の老舗の味のほうが馴染む。ショートケーキならやっぱり千疋屋(あるいは不二家でもOK)だし、チョコレートケーキならTopsだし、クッキーなら泉屋。味だけでなく、日本人の技が駆使された製品とそれを手がけた職人の皆さんへの敬意も込めて、そういった商品を積極的に選ぶようにしている。

日本人は外国偏愛傾向が強い?

昔、メルセデスのエンジニアとディナーの席で交わした会話がいまでも鮮明に頭の中へ刻まれていて忘れることができない。何の話の流れからそういう会話になったのかはよく覚えていないけれど、彼がとある質問を投げかけてきた。

「どうして日本人はロレックスとかオメガとか、外国の時計が好きなのですか」

突然そんなことを言われても、自分としてはちょっと困ってしまい、返答に窮していると彼が続けた。

「日本にはセイコーやカシオやシチズンといった素晴らしい時計メーカーがあるじゃないですか。ロレックスもオメガも、日本メーカーの時計と比べたら平気ですぐに時間が狂いますよ(笑)。時計の本来の性能は、時を正確に刻むことです。クルマに例えたら、走る曲がる止まるがしっかりできていること。走らない曲がらない止まらないクルマなんか誰も買わないでしょう。我々外国人から見ると、日本人は日本という母国や日本の製品に対しての強い誇りや敬意があまり感じられないように見受けられます。母国や母国の製品にもっと自信を持ってもいいのではないでしょうか」

あまりにも的を付いた彼の言葉を聞いて、なんちゃら鳥のなんちゃらソース添えを頬ばっていた自分は顔から火が出るくらい恥ずかしくなり、慌ててフォークをナイフを皿の上に置き、ナプキンで口の周りを拭こうとしたらうっかりワイングラスを倒してしまった。

確かに外国の方と話をしていると、母国愛を言葉の節々から感じる。相手にそれを意図的に伝えようとしているのではなく、あくまでも自然とそうなっている。真っ白いテーブルクロスにこぼした赤ワインが繊維の奥まで染み込んでなかなか取れないように、母国愛が彼らの血やDNAに深く染み込んでいるからだろう。

日本人だって母国愛がまったくないわけではないけれど、いっぽうで外国偏愛傾向が強いのも確かである。もちろん、外国の製品やデザインや技術にはいまでも他の追従を許さない際立つものが多い。「日本製じゃあこうはいかないよな」と感心する機会も少なくない。でもだからといって外国製品を盲目的「これはいいものだ」と信じて疑わない頭の硬さは、もう少しほぐしてもいいような気がする。

奥ゆかしさゆえ、主張しないことが善。

日本の中にも世界に誇れるものは多数あって、それらをもっと堂々とうまくアピールすればいいのにと思うけれど、それには日本人自身がまず、その魅力や個性や性能や機能を正しく理解して嬉しさを享受する必要がある。日本人の奥ゆかしさゆえに、特徴やおもてなしをことさらに主張しないことが善とされているから、私たちにはそれに気付く敏感な観察力や鑑識眼も求められる。蜘蛛の巣のごときキャッチネットを張り巡らせて、日本の良き伝統や慣習や美点を取りこぼさない。それが日々の生活の中で内在的に自然とできるようになればしめたものである。

外から見たほうその魅力がよく分かったり容易に気が付くこともある。メルセデスは発表当時のマイバッハのサンルーフのシェードを、日本の障子をモチーフにデザインした。メルセデスは神奈川県内にアドバンスドデザインセンターを構えていて、マイバッハのデザインコンペではそこの提案が採用されたのである。この話を聞いた時は、「これって本来、レクサスやインフィニティやアキュラがやるべきでしょ」と、ビーチで食べていたサンドイッチをふいにトンビに持って行かれたような悔しい心境だった。

日本の自動車メーカーがいつか、車内のアナログ時計を「SEIKO(あるいはGrand Seiko)」にしてくれないか、アロマディフューザーにお香の香りを採用してくれないかとずっと待っているのだけれど、いっこうにその兆しがない。うかうかしていると、また外国のとんびにさらわれてしまうかもしれないのに。

文/渡辺慎太郎(Shintaro WATANABE)