【TOPIC】ブガッティ創立110周年と共に、110歳を迎えたジャン・ブガッティ。

【TOPIC】ブガッティ創立110周年と共に、110歳を迎えたジャン・ブガッティ。

創始者エットーレ・ブガッティの長男。

2019年1月15日、ブガッティの創始者エットーレ・ブガッティの長男ジャン・ブガッティの生誕から110年目を迎えた。

ジャンは、ブガッティの歴史を語る上で欠かせない人物のひとり。ブガッティのデザイナーやテストドライバーとして活躍しただけでなく、27歳で父親が立ち上げたブガッティ社を引き継ぐ。そして、1939年、30歳の時に悲劇的な事故で帰らぬ人となった。ブガッティ創立110周年の年に、彼もまた110歳の誕生日の誕生日を迎えたことになる。

1909年1月15日、ジャンはドイツのケルンで生まれる。当時、父のエットーレは「ドイツ・ガス・エンジン会社」で製造部長を務めていた。ジャンのフルネームである「ジャノベルト・カルロ・レンブラント・エットーレ・ブガッティ」は、彼の家族のルーツであるイタリアに敬意を示しつつ、故郷フランス風の「ジャン」がファーストネームとして与えられた。

わずか27歳でブガッティ社の社長に就任。

生後すぐ、家族は当時ドイツ領のアルザス地方のドリスハイムへと居を移す。これはエットーレが、1910年1月1日にアルザスの廃染料工場跡地にブガッティ最初の工場を立ち上げたからだった。

子供の頃からジャンは父の仕事に高い興味を示していた。幼少期のほとんどの時間を工場労働者と共に過ごしていたという。10代の頃にはクラフトワークで得難い才能を見せ、ブガッティにおいて様々な仕事を任されるようになる。そして、1920年代後半頃には、既に会社にとってはなくてはならない存在になっていた。そして、1936年、27歳の時に父エットーレから社長の座を引き継いでいる。

4台のみが製造された伝説のクーペー、タイプ57

ジャンはブガッティの著名モデルの多くをデザインしており、技術面から父親をサポート。ブガッティのブランドを世界レベルに高めることに貢献した。

特に革命的な「タイプ57クーペ・アトランティック(Type 57 SC Atlantic)」は、ジャンの最高傑作のひとつ。流麗なクーペラインと低い車高、ボディは外部からリベット留めされ、独特の継ぎ目がデザイン上の特徴となっていた。現在でも史上最も美しいスポーツクーペのひとつに数えられている。タイプ57クーペ・アトランティークは4台のみが製造され、オリジナル仕様で現存しているのは2台のみ。どちらも非常に高価なヴィンテージモデルとして取引されている。

4台が製造された「タイプ57クーペ・アトランティーク」の中でも、最も有名なのが2番目に製造された「La voiture noire(黒い車)」だろう。美しい漆黒のボディを持ち、様々な雑誌に登場したり、モーターショーに展示された。一度も所有登録は行われておらず、ジャン・ブガッティ本人が使用し、近しい友人には貸していたと言われている。

Bugatti Type 57SC Atlantic La voiture noire

ブガッティ・タイプ57クーペ・アトランティーク

戦火と共に歴史に消えた「La voiture noire」。

「La voiture noire」について、最後に言及されているのは第二次大戦中。ナチ占領下のフランスからボルドーへと脱出したようとしたエットーレが列車に運び込んだ重要物リストに記載されている。その後、「La voiture noire」に起こったことは、伝説の域を出ていない。最も有力なストーリーは、ナチスが接収し、兵器製造のために解体、アルミニウムパーツとなってしまったということである。

効果不幸か、ジャン自身は最愛の「La voiture noire」の悲劇的な最後を看取ることはなかった。 1939年8月11日、わずか30歳の時に彼はドゥッピクハイム村の工場からそれほど遠くないテストルートを走行中に立木に激突。目の前を走行中のサイクリストを避けようとしての事故だった。現在、事故現場には記念碑が建てられ、ジャンを偲んでいる。