【ポルシェ図鑑】「ポルシェ356B 1600GS カレラGTL アバルト(1960)」意外なコラボレーション。

【ポルシェ図鑑】「ポルシェ356B 1600GS カレラGTL アバルト(1960)」意外なコラボレーション。

1960  Porsche 356B 1600GS Carrera GTL Abarth

ポルシェがアバルトに相談を持ちかけた。

当初1.5リッターでスタートした356Aカレラだったが、モアパワーの声に応じて1959年シーズンから1.6リッターユニットを搭載した356A 1600GS カレラへと進化。GS GTの最高出力は115hpへと向上したものの、オールスチール製のボディは重いうえに空気抵抗も大きく、ライバルに対し苦戦を強いられていた。

そこでポルシェは、356のライトウェイト・バージョンの製作を決意。フィアットをベースとしたスペシャルで多くの栄冠を手にしていたイタリアのコンストラクター「アバルト」に相談をもちかける。

なぜポルシェがアバルトに接触したのか? それはグミュントで産声をあげたばかりの1949年に19台目の356/2を購入したルドルフ・ルスカ(1945年までポルシェ設計事務所に勤務していたエンジニアで、のちにアルファスッドを設計)とともに、カルロ・アバルトがイタリアにおけるポルシェの販売権を獲得。その後もイタリアからのパーツや資材の調達に協力してきた経緯があるからだ。

生産に入るも・・・。

1959年9月18日にフランクフルトのフランクフルターホフ・ホテルで行われた極秘会議で合意に達した両社は早速プロジェクトを始動。ポルシェから最初の20台がオーダーされるとともに、試作用の356Bのローリングシャシーがアバルトの元に送られることとなった。

当初の取り決めでは、アバルトの仲介でザガートがボディをデザイン、製作することとなっていたが、その時点で両社は金銭問題で決裂しており、ボディデザインは元ベルトーネのフランコ・スカリオーニ、そしてアルミボディの製作はカロッツェリア・ロッコ・モットが担当することとなった。

そのような混乱がありながらも1960年2月に”カレラ・アバルト”こと「356B 1600GS カレラGTL アバルト」の第1号車が完成。いくつかの手直しを経て生産がスタートするのだが、3台目が完成したところでロッコ・モットが長期のバカンスに入り製作が中断してしまった。そこでアバルトは急遽ヴィアレコ&フィリッピーニに生産工場を変更。なんとか完成したカレラ・アバルトは、2万5000ドイツマルクでカスタマーに向け販売されることとなる。

わずか21台で終了。

1960年5月のタルガ・フローリオでワークスからレースデビューを果たしたカレラ・アバルトは、パウル・エルンスト・シュトラール/ヘルベルト・リンゲ組が総合6位、GT2.5クラスで優勝。さらにル・マン24時間ではシュトラール/ハンス・ウォルター組が総合10位、GT2.0クラス優勝するなど、数多くのレースで活躍をみせた。

しかしながら、車重こそ120kgのダイエットに成功したものの、大掛かりなモディファイにもかかわらずCd値が当初の期待を下回ったうえ、生産工程の混乱から雨漏りや建てつけの悪さといったクオリティの問題が生じた結果、ポルシェはアバルトとの提携を解消。カレラ・アバルトの生産は、わずか21台で終了してしまった。

1962年のル・マン24時間レースにワークスからエントリーしたエドガー・バルト/ハンス・ヘルマン組のカレラ・アバルト。ロータス・エリートとの接戦を勝ち抜き、総合7位、GT1.6クラスで優勝を飾ったほか、性能指数で9位、熱効率指数でも7位という好成績を残した。

ゼッケン35も1962年のル・マンにフランスの代理店チームから出場した1台。ロベルト・ビュシェ/ハインツ・シラー組がドライブし総合12位。GT1.6クラスでは4位にとどまったが、性能指数は4位と健闘した。

1962年のタルガ・フローリオを走るパウル・エルンスト・シュトラール/フリッツ・ハーンJr.組のカレラ・アバルト。レースは残念ながらリタイアに終わっている。

【SPECIFICATION】
ポルシェ 356B 1600GS カレラGTL アバルト
年式:1960年
エンジン形式:空冷水平対向4気筒DOHC
排気量:1588cc
最高出力:135hp
最高速度:220km/h

TEXT/藤原よしお(Yoshio FUJIWARA)
COOPERATION/ポルシェ ジャパン(Porsche Japan KK)