【COLUMN】ホンダ ジェット、日本の空へ。航空機に革命をもたらした処女作。

【COLUMN】ホンダ ジェット、日本の空へ。航空機に革命をもたらした処女作。

HondaJet Elite

ホンダジェット エリート

ホンダ・スピリットの象徴と言えるビジネスジェット

「ホンダジェット」が国土交通省の型式証明を取得し、日本の空に本格的な進出を果たした。

正式には「ホンダジェット・エリート」と呼ばれるホンダ・エアクラフト・カンパニーの処女作は定員7名の超小型ビジネスジェット。そう聞いて「なんでホンダがジェット機を作ったの?」「どうせホンダは名前だけで既存の航空機メーカーが作ったんじゃないの?」と思った自動車ファンは少なくないだろう。実は私自身もそう捉えていたし、そもそも自分がオーナーになる可能性がゼロに等しい(いや、ゼロそのものだ)ビジネスジェットのことなんてたとえホンダが作ったとしても私にはまったく関係ないと思っていた。

ところがホンダジェットについて知れば知るほど「これぞまさしくホンダ・スピリットの象徴!」と確信するようになり、開発者たちの情熱に思いを馳せれば胸が熱くなるのを抑えられなくなっていった。

本田宗一郎が追い求めた、大空への夢

私の心境がこれほど変わった理由はどこにあったのか? そもそも私はホンダの創業者である本田宗一郎が大の飛行機好きであることを知らなかった。いまからおよそ100年前の1917年(大正6年)、当時10歳だった本田少年はアメリカから曲芸飛行家が来日すると知ると、まだペダルに足が十分届かない自転車を漕いでおよそ20kmの道のりを走り抜き、複葉機が華麗に空を舞う姿を目に焼き付けたという。

そこまで時計の針を巻き戻さなくとも、本田技研の設立後にあたる1962年には政府が主導する国産軽飛行機開発計画に参画。ホンダは独自に設計した空冷倒立V8エンジンを搭載するレシプロ機の開発に着手しようとしていた。実はこれに先だってホンダは小型機パイパーを宣伝用に購入。宗一郎自ら操縦しては墜落事故まで落としていたというから、その飛行機熱は相当のものだったと推測される。

1986年にスタートしたホンダ製航空機の開発

残念ながら小型機開発計画は実を結ばなかったものの、この計画を知ってホンダの門を叩いたのが後にホンダの4代目社長となる川本信彦であり、川本の後任として5代目社長に就任した吉野浩行だった。そして、宗一郎と同じように飛行機を愛する川本と吉野のサポートがあったからこそ、ホンダジェットのプロジェクトは日の目を見ることができたともいえるのだ。

ホンダジェットの開発計画が具体的にスタートしたのは、川本が研究所の所長を務めていた1986年のこと。当初は極秘計画で、開発チームはごく小規模なものだったが、機体とジェットエンジンと同時に手がけるという極めて野心的な内容だった。巨額の予算を要するジェット機開発は大企業といえどもリスクが大きく、このため機体とジェットエンジンは別々のメーカーが手がけるのが一般的。

みなさんもボーイング787に搭載されるジェットエンジンにはゼネラル・エレクトリック(GE)社製とロールスロイス社製の2種類があるのをご存じだろうが、これこそがジェット機開発では普通のやり方であり、新規参入のホンダが機体とジェットエンジンの両方を手がけようとするのは、自動車メーカーとしては常識的な発想でも航空機業界ではドンキホーテ並みの妄想と受け止められても仕方がない側面があった。

幾度となく中心の危機に見舞われたプロジェクト

おかげでプロジェクトは難航を極め、何度も中止の危機にさらされた。それはそうだろう。具体的な事業化計画もなく、なんの売り上げももたらさないジェット機開発に10年も20年も人的財政的投資を続けていれば、社内に反対の声が挙がるのは当然のことだ。

その逆風を押しのけてホンダジェットの事業化に漕ぎ着けるとともに、いかにもホンダらしい性能を実現して販売面でも大成功を収める立役者となったのが、現在ホンダ・エアクラフト・カンパニーの代表を務める藤野道格(写真)だった。藤野が歩んできた道のりを記すと1冊の本ができあがる(実際、何冊も単行本が上梓されている)ほどだが、ここではホンダジェット・エリートの優れた特徴を挙げることで藤野ら開発陣の功績を称えることにしたい。

ライバルに差をつける広大なキャビン

現在、ホンダジェット・エリートと同じ超小型ビジネスジェット市場に参入しているのはアメリカのセスナとブラジルのエンブラエルの2社。代表機種はセスナが「サイテーション・マスタング」、エンブラエルが「フェノム100EV」だ。機体のサイズや定員などの諸元を見るとホンダジェット・エリートを含む3機はよく似ているが、たとえば巡航速度はホンダの782km/hに対してマスタングが630km/hで100EVは750km/h、航続距離はホンダの2661kmに対してマスタングは2161km、100EVは2182kmと大きな開きがある。

しかも、ホンダジェット・エリートが優れているのは、そうした単純な数値で表せる性能だけではない。 日本でいの一番にホンダジェット・エリートを購入したのは、投資家の千葉功太郎氏(写真左から3人目)、近年は民間ロケット開発でも知られるホリエモンこと堀江貴文氏(写真左から2人目)、同じく実業家の山岸広太郎氏(写真左から4人目)の3名を中心とするグループ。

このうち、かつてガルフストリーム製ビジネスジェットを所有していた堀江氏は、ホンダジェット・エリートの魅力をこのように語っている。

「まずはキャビンがすごく広い。このクラスの機体にはこれまで何度か乗ったことがありますが、どれもキャビンがメチャクチャ狭いんです。ところがホンダジェット・エリートは大型ビジネスジェットに比肩するくらいキャビンが広くて、乗るほうにしてみれば『なんじゃこれは!』って思うくらい快適なんです」

2基のエンジンを主翼上に配した独自のレイアウト

ホンダジェット・エリートのキャビンが広い秘密は、2基のジェットエンジンを主翼の上に搭載したその独特なレイアウトにある。これは前出の藤野代表が考案したものだが、このレイアウトは一般的にいって良好な空力特性が得られないことが明白なため、経験ある開発者ほどはっきりとダメ出しする常識外れな構造という。

しかし、藤野は綿密な計算に基づいてこの課題をクリア。そればかりか、ビジネスジェットでは機体後方に搭載されるジェットエンジンを胴体から切り離した結果、エンジンを固定するために必要な補強が不要になり、これが広々としたキャビンを実現するのに貢献したのだという。

4万3000フィートという運用高度の高さ

堀江氏とともにホンダジェット・エリートを購入した千葉氏は、現在、小型機の操縦士免許を取得するために訓練中といい、それゆえに専門的な知識も豊富。そんな千葉氏の視点から特に魅力的に映ったのが、ホンダジェット・エリートの4万3000フィート(約1万3100m)という運用高度の高さだった。飛行機に乗ると、「ただいま当機は3万3000フィート(約1万m)を順調に飛行中」という機長のアナウンスをよく耳にするが、つまりホンダジェット・エリートは一般的な定期便より3000mほども高い上空を飛べるのである。

4万3000フィートで飛ぶ価値を、ホンダジェット・エリートの副操縦席で実際に体験した千葉氏が語る。

「パイロットの目線で見て『なんて安全にできているんだろう』『なんて常識を越えたフィーリングなんだろう』と思いました。この感覚は、乗ってみないとわからないかもしれませんが、特に印象に強く残ったのが4万3000フィートのすごさ。これはもう3万9000フィートとは全然違います。実は空にも交通渋滞はあって、ジェット旅客機とすれ違うときには相対速度が1600km/hにもなり、まるでミサイルのように目の前を飛んでいくんですが、ジェット旅客機を見下ろす4万3000フィートで飛んでいるときの安全性、安心感はものすごい。しかも静かで燃費がいい。本当にスペックではわからないことだと思います」

ご存じのとおり高度を上げれば上げるほど気圧は低下するが、機内は人間にとって快適な気圧を維持しているため、その気圧差は高度を上げるほど大きくなり、機体を破裂させようとする力が強く働く。このため高高度を飛ぶジェット機には強靱な機体強度が求められるが、ホンダジェット・エリートは先進的な一体成形のカーボンコンポジット製胴体を採用することでこれを克服。ライバルを上回る巡航高度を可能にした。

また、高度が高くなればより大気が薄くなるので、風切り音が減って静粛性が高まり、空気抵抗が減って燃費が向上するなどのメリットが生まれる。これもホンダジェット・エリートの特徴といって差し支えないだろう。

日本国内ですでに10機のオーダーを獲得

こうしたパフォーマンスが広く認識された結果、ホンダジェット・エリートは2018年上半期に17機を“納機”。これは同時期の小型ジェット機のカテゴリーで最多にあたる数字だそうだが、ホンダジェット・エリートが同市場でトップに立ったのはこれが初めてではなく、2017年上半期と2017年暦年に続いて3度目という。

海外におけるホンダジェット・エリートの価格はおよそ500万ドルで、サイテーション・マスタング(275万ドル)やフェノム100EV(440万ドル)より高価だが、それでもホンダジェット・エリートに人気が集中しているのは、その価値がしっかりとマーケットで評価されている証拠といえる。実は日本国内でもすでに10機を受注したそうだが、堀江氏はこれを上回る期待をホンダジェット・エリートに寄せているようだ。

「1機、2機が飛んでいるだけじゃダメなんです。これが国内で100機くらいが飛ぶようになると柔軟に運用できてコスト効率が高まるし、メンテナンスも便利になる。そうやってジェット機のプライベート需要が一般化することを僕は夢見ています」

2輪と4輪で地上のモビリティを、マリン・エンジンで水上のモビリティを提供してきたホンダが、ついに空の上のモビリティを作り上げた。それは幼い日の宗一郎少年が抱いていた夢そのものだったといえる。

【参考文献】

「大空に賭けた男たち——ホンダジェット誕生物語——」 杉本貴司著 日本経済新聞出版社刊

TEXT & PHOTO/大谷達也(Tatsuya OTANI)